『めぐみ園の夏』
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【『めぐみ園の夏』刊行記念インタビュー】高杉良/いつも腹を空かせて、走り回っていた
――数々の経済小説、企業小説で知られる高杉さんが、初の自伝的作品『めぐみ園の夏』に取り組んだきっかけを教えてください。
ちょうど二年前の今頃です。息子一家と食事していた時に、これまで経済物、企業物でやってきたが、そろそろ自分のことを書いたらという話になりました。考えてもみなかった話ですが、そうか、書くなら「めぐみ園」だろうと。
――作品の舞台は、昭和二十五年、千葉県の児童養護施設。そこに小学校六年生の杉田亮平君が入園してきます。
本名そのままではちょっとね(笑)。一字変えることにしましたが、もちろん僕自身といっていい。書くと決めたら、どっと湧き出すように記憶がよみがえってきました。あの多感な少年時代の一年半のことは、よく憶えているんですね。大学ノートに、どんどんメモを取っていきました。
――戦争孤児の施設が舞台で、主題歌も有名なラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が、昭和二十二年から二十五年まで放送されています。
「鐘の鳴る丘」は、時々ラジオで聴いていた記憶があります。「めぐみ園」も戦災孤児が多かった。そういう時代ですよ。両親がいない子が圧倒的で、親がいるのに入園したのは、僕たち四人きょうだいだけでした。
――この作品を読むまで、そのような生い立ちとは存じ上げませんでした。
当時からの友達や家族はもちろん知っていますが、業界紙の記者になり、作家になってからの友人知人は、僕が施設にいたことは誰も知りません。「小説新潮」連載中に読んだ知合いは、みんな驚いていますよ。「あなたが施設の子だったとは。まったく信じられない」ってね。
――両親が健在でありながら、孤児たちの施設に入ることになった経緯は、作中にも詳しく描かれています。
家庭が崩壊して、父親も母親も僕たちきょうだいを育てられる状況になかったんですね。それで母方の伯母が暗躍して、「めぐみ園」を探してきた。そんな中で、目黒で医院をやっていた父方の伯父が支えになってくれました。
――吉村昭氏の『深海の使者』にも登場する、杉田保中佐。
戦前、軍医としてドイツに駐在し、Uボートで海底を這うようにして帰国した伯父です。ドイツから絵本を送ってきてくれたり、幼い頃から大変世話になった。この偉大な伯父を自分なりに書き留めておきたいという思いもありました。