『めぐみ園の夏』
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【『めぐみ園の夏』刊行記念インタビュー】高杉良/いつも腹を空かせて、走り回っていた
■「めぐみ園」があったから今がある
――昭和二十五年といえば、朝鮮動乱が起きた年です。緊迫した時代ですが、「めぐみ園」での生活は、どのようなものでしたか。
いつも走り回っていた。いつも腹を空かせていた。切ない、辛い、厳しい生活でした。学校では差別され、悪ガキに「残飯野郎」などといじめられる。だから、僕以外の園児たちは園と学校を往復するだけで、外に出て行かないし、学校で友達も作らないんです。僕は平気で、学校の友達の家にも遊びに行った。施設の子だからといって、いじけなかった。
――亮平君がボクシングで悪ガキをやっつける場面も痛快でした。
「めぐみ園」はキリスト教系だったこともあって、米軍キャンプと縁があったんです。それで、ボクシングのグローブが手に入って、園でボクシングを経験していた。だから悪ガキに勝てたんです。自分は強運だと、いつも思いますよ。
――その悪ガキとも友達になって、勉強を教えてあげる関係になります。厳しい境遇や時代の激動にもかかわらず、希望を感じさせる明るい空気が作品全体を包んでいます。
やさしい人たちに恵まれたんですね。保母さんや園の作業員、学校の教師も、みんな親身になってくれた。肺炎に罹った時は、園に付随する診療所の医師が、当時貴重だったペニシリンを、園長の反対を押し切って使ってくれて、一命を取り留めたこともありました。
――小説の中には書かれていませんが、「めぐみ園」のモデルになった施設は、実は今から二十年ほど前に、児童虐待が発覚し、新聞や国会でも取り上げられる大きな事件になっています。
園の経営者母子に問題があることは、この小説の中でも書きました。事件への伏線というか、さもありなんでしょう。いろいろなことがありましたが、めぐみ園の生活があったから今日の自分がある、あの頃の経験が糧になっているという思いはあります。これ以上厳しい生活はないわけだから、それを乗り越えたことが自信になり、心の支えになっています。
――それで本の帯にあるように「めぐみ園がなかったら、作家になっていなかったかもしれない」と。
この小説を書いていると元気が出る。時には泣きながら書いたり、作中に出てくる唱歌を歌って気分転換したりもしましたが、何よりも元気が出る。読者にも、その元気を伝えられる作品になっていると思います。
――「めぐみ園」を出た後の亮平が気になります。
続編は、可能性はあるとだけ言っておきましょう。もちろん、経済小説、企業小説も書いていきます。後期高齢者がこんなに仕事をしていいのかと思うけど(笑)。