投げ返されたボール 都甲幸治/川上未映子・村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』刊行記念特集

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みみずくは黄昏に飛びたつ

『みみずくは黄昏に飛びたつ』

著者
川上 未映子 [著]/村上 春樹 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103534341
発売日
2017/04/27
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

投げ返されたボール 都甲幸治

[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)

 奇跡的な書物である。

 今まで僕は村上春樹のインタビューをたくさん読んできた。けれども、彼がこんなに正直に、楽しげに、わかりやすく創作の秘密を語っているものは見たことがない。彼にここまで心を開かせたのはもちろん、聞き手である川上未映子の力である。

 なにより彼女がすごいのは、村上のどんなに小さなインタビューや短篇もきちんと読み込み、深く咀嚼し、しっかり記憶しているということだ。しかも相手が怒り出しそうなことも含めて、きちんと訊いている。これは並大抵のインタビュアーができることではない。彼女が村上の作品について、どれだけ分厚い時間を費やして考えてきたかがよく分かる。

 そのことを感じた村上は、まさに家にいるようにくつろいで、時に冗談や、二人の共通言語である関西弁も交えながら話す。そのとき、とても魅力的な村上春樹がそこにいる。本書が川上未映子・村上春樹著となっているのも当然だろう。なぜならこれは、インタビューという形式を通じて川上未映子が捉えた村上春樹論であり、村上という小説家が登場する一種の小説でもあるのだから。

 本書に登場する村上の発言で何より印象的なのは、小説を書くという仕事への向かい合い方である。何より大事なのは、小説を書かない期間を取ることだ、と彼は言う。その間に様々なことを経験し、考え、それを記憶の抽斗に詰め込んでいく。するとゆっくりと無意識の中から、次の作品が現れてくる。そして今だ、という瞬間を直感的に掴んで書き始めるのだ。

 だから締切りで仕事をしちゃいけない。あくまで大切なのは自発性である。でないと、何も湧き上がるものがないにもかかわらず、ごまかして捻り出すようになってしまう。村上のように仕事ができている書き手が日本にいったい何人いるだろうか。もちろんこのやり方に辿り着くまで、彼はずいぶん闘ってきた。そのことだけでも彼を心底尊敬してしまう。

 さて、小説が向こうからやってきたら、今度はそれを文章で掴む段階に入る。そのために村上は、毎日十枚のノルマを自分に課す。もちろん細かい描写や難しい記述は適当に書き飛ばす。そうやっていったん通して書いてから、じっくりと書き直していく。書き直しが十回で済めば少ないほうらしい。どれだけ勤勉なんだ。

 なぜそんなに直すのか。村上にとって、磨き上げられた文体こそが小説の命だからだ。何度も書き直していくうちに、文章はミリ単位で正確性を増し、語られる内容もリアルになっていく。そのときに大事なのはあくまで直感だ。理屈やテーマに頼ると底の浅いものになってしまう。そういうものはすぐ読者に見抜かれ捨てられてしまうだろう。

 この場合の理屈とは意識であり、直感とは無意識である。リアリズム小説という近代的な枠組みを使いながら、人類の無意識という、古代的でマジカルな領域に入っていくこと。この矛盾した課題を追求することが、説得力のある現代の物語を生む、というのが村上の信念である。まさに、現代文学には無意識が足りない、というわけだ。その批判はおそらく当たっている。

 川上は言う。村上の作品は読者に「そこに行けば大事な場所に戻ることができる」(33頁)と感じさせる、と。性別や年齢、国籍を超えて、世界中の多くの人々にそう思わせることができたからこそ、彼の小説は幅広く愛されているのだ。

 と同時に、このことこそが川上の提出する、村上文学に対する二つの疑問にも通じている。それは彼の作品における女性の描かれ方の問題点と、直感を使うだけでなく、理屈で考えることの意義だ。村上の作品内で女性たちは女性としての役割を負わされるあまり、男性である主人公の犠牲になっているのではないか、という違和感を川上は彼に正面からぶつける。その問いに村上はもちろん、誠実に答えている。だが二人の議論はどう見ても噛み合ってはいない。

 実はこの二人のずれこそが本書の白眉なのではないか。理屈を排除し直感に頼ることで得られるものは大きい。しかしそれだけでは、現代社会に女性として生きることの苦しみを捉えることはできない。そのためには、歴史や哲学も含めた粘り強い知的な作業が必要なのだ。だがそれは村上の言うように「僕の仕事じゃない」(129頁)。そしてボールは彼の作品に魅せられてきた僕らに投げ返される。そう、次は僕らが語り始める番なのだ。

新潮社 波
2017年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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