『冬の日誌』
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従来の自伝にはない刺激的で新鮮な着想
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
自分のことを書けばいいので簡単そうだが、そうではないのが自伝である。露悪的すぎるとシラけるし、自画自賛はもっと鼻白む。人生の内実を普遍的レベルに引き上げるには、なにか仕掛けが必要なのかもしれない。
現代アメリカ文学を代表する作家ポール・オースターが本書でとったのは、自分に対して「君」と呼びかけ、人生の所業をあたかもそれが目の前で起きているように描写することだった。つまり、作家として世界的に認知された時点から過去を回想するのではない。成功するとは夢にも思っていなかった「その時」を立ち上がらせ、渦中にいるような筆致で記すのだ。
このフェアネスに深くうなずく。人間は意識するしないにかかわらず生きている一瞬一瞬を選択しているのであり、人の一生はそうした瞬間的選択の積み重ねにほかならない。それが吉と出るか凶と出るかは神のみぞ知るなのだ。
読み出してすぐに家族を乗せて車を運転していたときに起こした比較的最近の衝突事故の話が出てくる。幸いにも全員無傷だったが、だれか死んでもおかしくなかった。電話で久々に元気な声を聞いた母が翌日に死亡するという出来事が三ヶ月前にあり、運転能力が落ちていたのだ。
後半では、その母の死と幼少期の記憶についてかなりページを割いて触れるなど、時間を前後させながら出来事の本質が探られる。若き日の性欲の苦しみ、数々の恋愛、最初の結婚の失敗、これまで住んできた場所の記録……。どの話題も他人の身に起きたとは思えないほど切迫感がある。曲がりくねった時間が読者の身体的記憶を拓いていくのだろう。
言い遅れたが、本書が扱うのは肉体がたどった記憶で、同時期に出た『内面からの報告書』では心の地層が掘り起こされる。このように対にして描くというのも、従来の自伝にはない新鮮な着想で刺激的だ。