裁判官は「ソンタク」する――瀬木比呂志・清水潔『裁判所の正体 法服を着た役人たち』

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裁判所の正体

『裁判所の正体』

著者
瀬木 比呂志 [著]/清水 潔 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784104405039
発売日
2017/05/18
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

裁判官は「ソンタク」する

[レビュアー] 清水潔(ジャーナリスト)

 今年の流行語大賞との声も聞こえる「忖度」という言葉。政権に対する諸々の疑惑に端を発し、マスコミの提灯記事、会社の上司や先輩に対する態度まで、世の組織では「ソンタク」流行りらしい。「みなまで言わさず推し量れ」は、日本人のどこかに染みついている悲しい性なのか。だが絶対にそんなことがあってはならぬ世界も存在するはずだ。

 静寂な空気が張り詰める裁判所――。

 見上げる壇上に姿を現す法服の裁判官たち。起立、礼。厳かに流れ出すのは神の声か。「主文……、被告人を死刑に処する」。時に人の運命を定め、すっとどこかに消えていく後ろ姿。彼らはいったいどこから来て、どこに戻るのか。どんな使命感や理念を持って働き、その結果としていかほどの報酬を手にするのだろうか。裁判所までどうやって通勤するのか。帰途にはグラスと焼鳥の串を手に、冗談のひとつでも飛ばすことがあるのだろうか……。

 事件記者として裁判傍聴の経験は少なくないが、その楽屋裏となると全く知らなかった私は、いつかチャンスを見つけて取材をしてみたいと思っていた。そんな折、元裁判官の瀬木比呂志さんに話を聞けることになった。退職した判事は多いけれど、実名、顔出しという条件で司法の裏を語れる人はなかなか見当たらない。その点、瀬木さんは自著『絶望の裁判所』などで裁判所の内幕や人事などについても綴っている。取材するならこの人だ。丸々3日間に及ぶ膝詰め取材。ここぞとばかりに積年の疑問をぶっつけ、その経過を束ねたのが本書である。当初は元裁判官と事件記者の「対談」スタイルを想定していたのだが、私の疑問は途切れることなくひたすら続き、瀬木さんはそれに正面から答え続けてくれた。結果として、対談というよりロングインタビューといった方が適切な内容になったかもしれない。瀬木さんの口から飛び出す回答は、私にとっては驚愕の連続だった。

 司法、立法、行政とは、言うまでもなく国家の三つの権力だ。これらが独立していることで権力の暴走を防ぐシステムが「三権分立」ということになる。立法権は国会が、行政権は内閣が持っているので、万一それらが暴走した場合には、違憲立法審査権を持つ裁判所が、「権力チェック機構」としてブレーキをかける。だが、もしもその裁判所が政治に「忖度」したらいったいどうなるのだろうか?

 一例を上げてみたい。近年、国会でも憲法判断について議論になることが少なくない。「合憲」か「違憲」か、というやつである。だが、実は裁判所ではずっと前から「どちらでも無い」という謎の判決が下っていたりする。「一票の格差」と言われる投票価値の平等に関する訴訟で、「違憲状態」という判断をしているのだ。なんとも意味不明ではないか。合憲と違憲の「間」を作り出して、判断を回避しているわけだ。瀬木さんはこれをズバリ「国会議員の既得権を守るためとみるのが一番自然」と断ずる。本来、一番厳正であるべき憲法判断ですらこうであれば、他の裁判はどうなのだろうか。疑問と疑念が次々と飛び出してくる。刑事事件の有罪判決率はなぜ99・9パーセントにもなるのか。国賠訴訟ではなぜ原告はなかなか勝てないのか。原発訴訟はなぜ二審でくつがえされるのか。最高裁の真の権限とは何なのか。冤罪が起こりうる構造、国策捜査、スラップ訴訟とは……。

 合計18時間に及ぶ取材で浮上した驚きの最たるものは、「三権分立は嘘だった」という空恐ろしい現実だった。どうやらこの国では司法すらも忖度の例外ではなかったらしい。

「いくら何でもそんな馬鹿なことは無いだろう……」と、思う人こそ、ぜひこの本を開いて頂きたい。我々が目にする厳正な雰囲気の法廷とは裏腹に、裁判所といえ単なる人間社会のひとつであることが垣間見えてくるはずだ。あなたの周辺にゴロゴロしているソンタク社会の一場面と重なるところも多いであろう。

 冤罪だった「足利事件」を取材した時、幼女殺人の汚名を着せられ、再審の判決でようやく無罪となった菅家利和さんに、裁判官が謝罪する光景を目の当たりにした。17年半にわたって刑務所に幽閉したその人に対し、法服姿の3人が壇上で頭を垂れる姿はどんなドラマのシーンよりも衝撃的だった。しかしあの時の私は、たまたま起きた不幸な誤判だと思っていた。冤罪などそう多くはあるまいと。だがこの取材を終えた今の考えは違う。あれは起こるべくして起こった悲劇だったのだ。それ程までに「裁判所の正体」というものを思い知らされた取材だった。自分だけは安全だなんて思わないほうがいい。

新潮社 波
2017年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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