宮部みゆき 書評「騙される心」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開

レビュー

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騙す人ダマされる人

『騙す人ダマされる人』

著者
取違 孝昭 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784101424217
価格
555円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

騙される心

[レビュアー] 宮部みゆき(作家)

「詐欺」をテーマにした『騙す人ダマされる人』。宮部みゆきさんが、「どこからどう読んでも面白い」と評したその内容とは?

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 落語に、『壺算』という有名な噺がありますね。壺の売り買いと釣り銭をめぐる騙し騙されの楽しい噺で、純朴で真面目な店主が、小ずるい客とやりとりを重ねるうちに、どんどん深みにはまってゆくところが面白悲しい。

 この噺を初めて聞いたとき、わたしはたぶん小学校の高学年ぐらいだったと思います。テレビの寄席中継だったのですが、どこが面白いのかわからなくて、一緒に聞いていた家族に、「ねえ、なんで笑ってるの? なんで?」とうるさく尋ねたことをよく覚えています。

 その後、二十歳すぎになって、寄席でこの噺を聞く機会に恵まれ、さすがに今度はよくわかり、大笑いをしたのですが、ひと息ついてからじっくり考えてみると、どうにも客の言い分の方が計算にあっているような気がしてきました。で、「あの客の方が正しくない?」と呟き、連れに笑われた――という顛末。わたしは算数が苦手なのです。

 本書『騙す人ダマされる人』(八月、新潮社刊)では、巻頭早々に、「落語もどきの世界」として、この『壺算』そっくりの釣り銭・両替詐欺のエピソードが登場します。この手の詐欺を働く人々に外国人が多いなど、意外だけど納得のゆく事実も次々紹介され、ナルホドなるほどと釣り込まれて読み進みつつ、でも、文中で紹介されている詐欺の実例の、どこがどう計算がおかしいのかピンとこないというわたしに、どこまで本書の魅力を解説できるものか、なかなか心許ないものがあります。

 しかし、面白い本は、縦を横にしようが逆さまにしようが面白いのだ! わたしは本書をゲラの段階で読んだのですが、本来読みにくいはずのゲラなのに、興味に惹かれてどんどんページをめくってしまいました。しかも本書は、面白いだけでなく役に立ちます(こう言うと、なんだかインチキな自己啓発本のキャッチコピーみたいですが――そして、その種の本に手もなく騙されてしまう読者の心理もまた、たとえば本書の第三章で語られている「制服詐欺」に一脈通じるものがあると思うのですが)。詐欺の手口を紹介するだけでなく、その手口がどうして有効なのか、ある手口の詐欺が、どういう社会背景を背負って成立するのか――というところまで突っ込んで分析してある本書は、いたずらな事実の羅列に終わらず、どういうわけかどうしようもなく騙されてしまう人の心の不思議さへの、誠実なアプローチとなっています。

 どこから読んでも面白い本書ですが、内容の濃い全八章のなかから、敢えてこれというひとつを挙げるならば、圧巻はやはり、第五章の「M資金詐欺」でありましょう。幻の巨額資金「M資金」の存在は、人気スターの自殺にからんで取り沙汰されたりしたこともあり、一時は女性週刊誌の見出しにまで登場したほどに有名なものですが、さてその実体はというと、どうも曖昧模糊としています。かく言うわたしも「M資金」の名称こそ知っていたものの、じゃそれは何かと問われても、首をかしげるだけ。著者の取違(とりい)孝昭氏は、この混乱と謎の源流を探りつつ、わたしたち読者を戦後の混乱期から現代へと続く戦後史の闇のなかへと案内してくれます。

 大がかりな事業資金詐欺でも、一万円単位の寸借詐欺でも、本質に変わりはありません。騙される心に浮かびあがる幻。それがすべてです。困った人を助けたいと思う善意や、有名大企業やかっこいい職業への憧れや、大きな事業を興したいと願う野心のなかに、この幻はしっくりと、まるで最初からそこにあるもののようにはまりこみ、そこで生を受ける。この瞬間に、ありもしないでっちあげの話が、騙す側と騙される側が力を合わせて創り上げ、ある期間共有する共同幻想となるのです。そして、この幻想が消えない限り、被害者も加害者もないのですが、あいにく、たいていの共同幻想は遅かれ早かれ消え失せるものなので、そこからが「詐欺」になってしまう――

 では、騙す側はどうなのか? あくまでクールに計算高く、共同幻想を餌に、被害者をカモにすることばっかり考えているのか? この問いへの回答は、本書を通読したとき、読者の心のなかに、自ずから現れることでしょう。ジャーナリストである取違氏の視点が、被害者を揶揄することなく、加害者に闇雲に敵対することなく、常にフラットに保たれていることが、それを可能にしているのです。

 この夏、イチ推しのお勧め本です。本書の定価に詐欺はなし。ぜひご一読を。

新潮社 波
1995年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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