宮城谷昌光×宮部みゆき 対談「つながりゆく文学の系譜」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開

対談・鼎談

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風は山河より 1

『風は山河より 1』

著者
宮城谷 昌光 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101444512
発売日
2009/10/28
価格
605円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

つながりゆく文学の系譜

宮城谷昌光さんと宮部みゆきさんという二大作家の読書の歴史、そして、文学の神様とは……? お二人のご縁の深さを感じる対談です。宮城谷さんの文学論は、小説家志望の方、必読ですよ!

 ***

 戦国期における“氏”の意味

宮部 『風は山河より』全五巻、刊行おめでとうございます。

宮城谷 ありがとうございます。そして、宮部さん、吉川英治文学賞受賞おめでとうございます。

宮部 ありがとうございます。まだあまり実感がなくて、ぼーっとしています……。

宮城谷 選考会の翌日に、対談でお目にかかることは、もちろんわかっていたのですが、不思議な巡り合わせですね。

宮部 本当に、これもご縁だと思います。宮城谷さんに初めてお会いしたのは、私がデビューして二、三年くらいの頃、当時の担当編集者の方が共通していたのがご縁で親睦会にお招きいただいて。それ以来、一緒に旅行させていただいたり、奥様の美味(おい)しい手料理をごちそうになったり、いつも甘えてばかりで恐縮です。

宮城谷 かれこれ十八年くらいになりますか。相性がいいんですよ。

宮部 偶然にも私が小説新潮で連載している「ソロモンの偽証」も「風は山河より」と同じ五年前に連載がスタートしたのですが、四ヶ月連続で五巻を刊行するというのはかなりハードなスケジュールですよね。お疲れになったのではないですか?

宮城谷 意外にあまり疲れていないんです。担当の編集者たちに熱気があったからかもしれませんね。私は担当者には「あなたもこの作品のなかにはいっているからね」と話しているのですが、それは知らないうちに、小説に編集者の存在が反映されてしまうからなのです。編集者が冷めていると、どこか作品も冷めてしまうから、自分で盛り上げざるを得なくなって、疲れてしまいます。松本清張のように編集者の名前をすぐに小説に使ってしまうわけではありませんが(笑)。ちなみに、宮部さんは登場人物の名前を、どのようにつけますか?

宮部 人物のイメージをつくるときに、名前も一緒に浮かぶので、わりとそらでつけますね。しかも、私の場合は作風的に突飛な名字をつけられないので、耳に馴染(なじ)む名前に限られてしまいます。犯人に知り合いの名前をつけないようには気をつけていますが。

宮城谷 確かに。けれども、一度もないですか?

宮部 実は、『模倣犯』(新潮文庫)という作品で一度だけあるんです。ピースマークのように誰にとっても感じがいいというイメージだけで犯人のあだ名をピースと名付けたのですが、それが中学時代の友人のあだ名で……。本人がすごく気にしていると別の友人から訊(き)いたときには、冷や汗がでました。他にも、同時に何本も連載小説を書いていると、似た役回りの人物に同じような名前をつけてしまったり。

宮城谷 私も、新聞の長期連載で、同じ名前を二度使ったことがありましたよ。

宮部 宮城谷さんでもですか!?

宮城谷 ちょっとした脇(わき)役だったんですが、「その人、死んだはずですが……」と指摘されるまで、まるで気がつかなかった。潜在的に好きな名前というのはあるんですね。感じのいい人には、これとか。

宮部 犯人系統はこっちとか(笑)。音の響きで知らず知らずに判断しているようです。あと字面でいえば、私は漢字には顔があると思っていて、意味とは関係なく、人相のいい漢字と悪い漢字と分けているような気がします。いい意味を持つ漢字でも、悪くみえてしまうこともあります。宮城谷さんは、中国小説など名前がすべて漢字の場合は、どのようにつけるのですか?

宮城谷 私も感覚に頼っていますよ。やはり悪役にはつけない漢字というのがあります。ただ、姓に対しては中国は系図がとてもはっきりしていて、歴史的なイメージが確立しているので、感覚的というわけにはいきません。

宮部 姓といえば、『風は山河より』の第一巻は、主人公の菅沼新八郎定則が兄のところへ、安祥(あんしょう)城の松平三郎が松平の姓を捨てて世良田という姓を名乗ることにした理由を訊きにいく場面からはじまりますよね。歴史小説、特に戦国時代を扱う場合、もう少しあからさまに不穏な動きが起こるところからスタートするケースの方が多いとおもうのですが、この冒頭のシーンはもの凄く鮮やかで、謎めいていました。

宮城谷 ありがとうございます。世良田とは、いまでも群馬に居住していた人なら皆知っている姓です。地名にもあります。だが、戦国時代の三河の人がどれくらい知っていたかというと、多分、皆無に等しい。『太平記』には記載されていますが、戦国期にこの書物を読むためには、高貴な人に借りにいかなければならなかった。ですから、三河には世良田という姓を知っている人はほとんどいなかったはずなんです。しかし、松平三郎が戦略的に何をやろうとしているのかを探るためには、なぜ姓を世良田に変えたのか、その意味がわからなければなりません。つまり、世良田氏とは足利氏と戦って滅んだ新田氏の流れなのです。足利氏の時代に新田の姓を名乗るとは、反幕府派と宜言したようなもので、三郎にそうとうな決意があったことを読み取らないといけないのです。

宮部 氏を名乗ることは旗印を背負うこと。拝読してわくわくしました。それに、私のように、ただ好きで歴史小説を読んでいたり、大河ドラマをみてきたような人間でもよく知っているような人物の若い頃の姿が描かれているのは楽しかったです。特にたまらなく嬉(うれ)しかったのは、服部半蔵。大好きなんですよ、私。三巻の最後で十四、十五歳の服部半蔵が出てきますよね。何気ないシーンですが、とても新鮮でした。

宮城谷 服部半蔵は伊賀と縁があったからたまたま忍者の頭になったけれども、本意ではなかったような気がしていたので、若い頃の、明るくてはつらつとした姿を書きたかったんです。けれど、彼と菅沼家を繋(つな)ぎ合わせるためには仕掛けが必要で、そのために十蔵という人間を登場させました。最初は、あれほど重い役を負わせるつもりはなかったんですよ。私自身が彼を好きになってしまい、長生きさせてしまいました。

宮部 それは、私にも経験があります。

宮城谷 主人公はあまり変わらないけれども、脇役の役割は変わっていくものですね。

 知られざる読書の歴史

宮城谷 宮部さんは大河ドラマをご覧になるんですね。

宮部 はい! 両親の影響で小学校四年生くらいから、あと「赤ひげ」などの四十五分枠の時代劇シリーズも毎週欠かせませんでした。あれこそ私にとって時代ものの原体験で、毎回ぼろぼろ泣きながらみていました。それから原作である山本周五郎氏の『赤ひげ診療譚』を読みはじめたのです。

宮城谷 山本周五郎ファンですか?

宮部 ファンというか、手当たり次第に読んでいました。『小説日本婦道記』『町奉行日記』など。その後は藤沢周平作品を。

宮城谷 ずいぶんと若い頃から読んでいたんですね。なぜ、藤沢周平に?

宮部 以前、本には背表紙から放つものがあると宮城谷さんがおっしゃっていましたが、私にはあのお二人は似ているような気がしたんです。それから永井路子さん。実は私が一番かぶれたのは永井さんの作品なんです。大河ドラマで『草燃ゆる』をみて、その原作だった『北条政子』『炎環』など源氏三代記に夢中になりました。それから海音寺潮五郎ヘ――という感じで。

宮城谷 それは面白いですね。

宮部 私は暗記が苦手だったので、学生時代、日本史は全然できなかったのですが、『武将列伝』を読んで、武将から読み解くと、歴史の流れが分かるんだと感激しました。『悪人列伝』では世間で悪評高い武将に対する海音寺潮五郎の思い入れが強く感じられて、涙がこぼれそうになったんです。そして何より、『列藩騒動録』! この小説を読んで日本史の解釈の仕方が変わってしまいました。

宮城谷 あの作品は名著ですよね。残念なことに絶版ですが。海音寺潮五郎の次はどの方向へ?

宮部 捕物帳が大好きなので、岡本綺堂を。『半七捕物帳』と怪談集はなんべんも読み返しました。僭越(せんえつ)なのですが、時代物を書くときはこれらの作品をウォーミングアップに読んでいます。生々しい表現があまりなくて、実に粋なんです。

宮城谷 分かります。大正から昭和にかけての美学だとおもいますが、『半七捕物帳』ほど江戸情緒を美しく描いている本はありませんね。私も好きで、新装版もすべて買いました。それにしても宮部さんの読書系譜を私は全然知りませんでした。山本周五郎、藤沢周平、永井路子、海音寺潮五郎、そして、岡本綺堂。これらの作品は、あなたのなかで脈々と繋がっていますね。読書体験の底辺部がとくに大切であったようにおもわれます。

宮部 生活臭のある事件をドラマにして書くというか……。

宮城谷 宮部さんにくらべて、私が辿(たど)ってきた道は本当に断続的です。私が藤沢周平を読みはじめたのは本当に遅く、しかも宮部さんとは全然違う道筋で、柴田錬三郎からはいりました。そもそも私はモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンが大好きなんです。ルブランはもともと純文学志向で、師匠は、『ボヴァリー夫人』を書いたフローベールであったと記憶しています。柴田錬三郎の師匠は佐藤春夫で、やはり、フランス文学の系統なのです。

宮部 流れが同じですね。

宮城谷 柴田錬三郎が持つ美的感覚は佐藤春夫から継承しているフランス文学的審美眼なので、ルパン好きの私にはわかりやすかったですね。また、柴田錬三郎にはある様式美があり、それにのっとってテーマを設定しているのですが、そのテーマには常に外国的な要素が含まれていました。一番わかりやすいのは、『眠狂四郎』です。

宮部 確か眠狂四郎はオランダ人医師の父と日本人の母を持つハーフだったのですよね。

宮城谷 ええ。だから、日本人では設定しにくい、神の問題を小説に含有できたんです。他にも国籍問題など多岐にわたるテーマが盛り込まれていたので、私は柴田錬三郎によって思想的な造詣(ぞうけい)が深まったように感じています。

宮部 哲学に通じるところがありますね。

宮城谷 そうですね。ただ、柴田錬三郎には継承者がいなかった。全作読み終えたら次は何を読めばいいのかと、とても不安でした。私の叔母が大変な読書家で、彼女に海音寺潮五郎をすすめられて読んだのですが、柴田錬三郎にある審美的なものが内包されていないように感じられて、そのときは、全く面白くありませんでした。

宮部 系列の違う作家なんですね。

宮城谷 柴田錬三郎を読み終えた時点で、私のなかで時代小説を読むという行為が終わったかもしれません。

宮部 直系で繋がる作家は一人も、いなかったんでしょうか。

宮城谷 無理だったんでしょうね。泉鏡花が泉鏡花でしかないのと同じで、あの作風は彼でおしまいです。柴田錬三郎作品は現代小説もすべて読みましたが、あれだけのものを書ける人はやはりなかなかいない。登場する女性の美しさのすばらしいこと! 特に銀座の女性が……。私も、銀座にいきたくなって大変でしたよ。

宮部 意外な告白!

宮城谷 綺麗(きれい)で、色気があって、スマートで……。ただ、残念ですが、柴田錬三郎の現代小説を読んでいる人は今はいないでしょうね。もったいないことです。

宮部 ほとんど絶版ですものね。

宮城谷 その後、吉川英治、山岡荘八、海音寺潮五郎、中島敦などを読むようになったのですが、そこに辿り着くまでには、大分、時間がかかりました。映像化されたものを観るというようなきっかけがないと、なかなか踏み込めませんでしたね。

宮部 宮城谷さんご自身がそうした先達の系譜を継いでいらっしゃる、と申しあげると、やや乱暴でしょうか?

宮城谷 心情的には大層影響を受けているとおもうんですが、継いでいるといえるかどうか。確かに、一読者として作品を読み終えた後、今度は書き手として、彼らの文体研究を徹底的にしました。特に海音寺潮五郎、中島敦の文章をノートに書き写して、全作洗い直し、取り入れられる文体はすべて自分の作品に取り入れました。吉川英治はちらっと振り返りましたが、私にはさほど必要のない文体でした。しかしながら『宮本武蔵』はじつにていねいに書かれた作品で、みならうべきところが多い。しかもこれほどの音楽的作品はめずらしい、というのが私の持論です。柴田錬三郎は――柴田錬三郎にしかできない表現が多すぎた。ただし山の高さが違う作家が一人いるんです。司馬遼太郎です。この山を越えるにはふつうの登山装備では駄目でした。それこそ最近になって、ようやく登ることができるようになりました。長い年月がかかりますよ。

宮部 やはりそうですか。ただ読んで面白いというだけだったら、何回でも読めるのですけれどもね。

宮城谷 おっしゃるとおりです。ただ、書き手として読む行為もけっこう楽しいものですよ。宮部さんの作品をそういう立場で読もうという人もたくさんいるはずです。

宮部 解体していったら、何にも残らなかったりして(笑)。

宮城谷 宮部さんは現代作家の代表選手ですから。最近の新人賞に応募してくる作品は村上春樹さんの模倣が多いとききましたが、本当に村上さんのようになりたかったら、村上作品を真似(まね)するより、彼が何に影響を受けて書きはじめたかを追求した方が早い。つまり、サリンジャーなどを読んだ方がいいんです。原点を知らなければ、越えられるはずがない。だから、宮部みゆきを解体したところで、それでは宮部みゆきを越えられない。

宮部 実は怖い話や不思議な話が好きなだけなんですが(笑)。

新潮社 小説新潮
2007年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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