『一千一秒物語』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
文庫の海に漕ぎだして
[レビュアー] 宮部みゆき(作家)
「新潮文庫」夏の百冊フェアも始まりましたが、宮部みゆきさんがご自身の日常生活の中で文庫本と接する醍醐味を、投網漁にたとえて解説しています。
***
書店という大海のなかの、文庫の海に舟を浮かべ、これという狙いも定めぬまま、
「なんか面白い本、引っかかってこい!」と念じつつ投網を打つことは、大いなる愉しみであります。
ハードカバーの新刊本は、一本釣りに限りますが、文庫漁にはダンゼン、網で行く! また、それでこそ醍醐味を味わうことができるほど、文庫の海は広い。ですから、嬉々として網を担いで出かけては、エイッとばかりに放り投げ、さあ石鯛がくるかハタがくるか、それとも外道のウツボがからみついてきちゃうか、ワクワクしながら手繰り寄せる――というのが、私の日常生活のなかで、頻繁に観察される光景なのであります。
この投網漁の面白いところは、網をあげた瞬間には「ありゃー、外道だよ」と嘆いてしまったけれど、その獲物をよく味わってみたらとても美味だった、などという、楽しい計算違いが多々発生することです。つまりは、バクチ的要素もあるということで、それがまたスリリングであったりもします。
さらに、文庫海のなかの潮の流れや、集まってくる魚の種類などを詳しく知っている先人がいたり、潮時表が出ていたりして、そのガイドに従って狙いを定めることも、また別の愉しみとなります。ガイドは公平で、知識も広範ですから、たとえば私のような心の狭い漁師が「エー! こういう獲物は狙いたくないよ」などと駄々をこねても、
「まあ、騙されたと思って、一度捕まえてごらんよ」などとアドバイスをしてくれる。
「ふうん、そうなの? じゃ、一回だけね」などと言いつつ網を投げてみたら、あとあとまで魚拓にして保存しておきたいほどの凄い魚があがってきた――ということが、過去に何度もありました。
そのひとつが、稲垣足穂作『一千一秒物語』です。ページのあいだから砂金がこぼれ落ちてくるような本でした。
ゲラゲラ笑う熱いココアや、陽炎のようにゆらゆら揺れ、ぜんまいがほどける時のような音をたてて夜空に逃げて行く、不思議なものたち。ポケットから落としてしまった自分を追いかけて坂道を走って行くお月さま。深夜の草原を疾走する白馬の群の幻が、夜が明けたとき、草原の上一面に散らばった無数の真っ白なカードヘと変じる――そんな、シュールな絵画を見るように鮮やかなイメージ。文章とは、紙の上に、見る人によって千変万化する特別な絵を描くための手段なのだということを、私は『一千一秒物語』に教えてもらったような気がします。そして当時の私は、作中に登場する「赤いコッピーエンピツ」が欲しくてたまらなかった。それは、夜になると、ほうき星に変わるものだったから。
またいつか、あんな魚を釣り上げたい。だから、私はまた「エイヤ」と網を投げるのです。昼はひねもす、夜はよもすがら、文庫の海に、漕ぎだして……。