使命と情がぶつかるとき、リーダーは何を選択すべきか

レビュー

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海道の修羅

『海道の修羅』

著者
吉川永青 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041050798
発売日
2017/04/27
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

非情で怜悧な今川義元を描く異色の歴史小説

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

 吉川永青は、陶隆房を主人公にした『悪名残すとも』、石田三成の真意に迫る『治部の礎』など、歴史の敗者に新たな光をあてる戦国ものを書き継いでいる。桶狭間の戦いで織田信長に討たれ、いまでは信長の引き立て役になっている今川義元を再評価した『海道の修羅』も、この系譜の作品である。

 義元といえば、薄化粧をして、眉を高い位置に書く置眉をするなど公家文化に染まり、太っていて馬に乗れず輿で移動していたなどの悪評が伝わっている。だが実際の義元は、軍事、内政、外交で辣腕を振るい、今川家の最盛期を築いた名将である。徳川家康の異名として有名な〝海道一の弓取り〟は、元来は義元のもので、本書のタイトルもこれに由来している。

 出家し京の太原雪斎のもとで学んでいた承芳は、今川家の家督を継いだ兄の氏輝の命で、故国の駿河に帰ってくる。当時の今川家は、関東に覇を唱えていた北条家と同盟関係にあり、武田家を攻める北条家の求めに応じ、兵を出していた。自国に利のない戦争で国が疲弊するのを憂えた承芳は、師の雪斎と謀略を進め、氏輝の死を機に家督の相続に成功する。

 還俗した承芳は名を義元に改め、北条派の重臣・福嶋越前守を排除し、やはり北条派の母・寿桂尼を押し込めると、国の改革を始める。その中には、名門・井伊家の弱体化も含まれていた。このエピソードは大河ドラマ『おんな城主 直虎』にも出てきたので、本書は、大河ドラマのファンも楽しめるはずだ。

 仏門を捨て乱世に落ち、「修羅」の道を進む覚悟を決めた弟子に、雪斎は「誰を信じても、誰に心を許してもなりませぬ」と声をかける。駿河を守る「公」の利益のために、私欲を捨て「己を殺す」ことを誓った義元は、大を生かすためなら、平然と小を切り捨て、家臣には命がけで挑まなければ果たせない過酷なノルマを課す。

 クールでスタイリッシュな義元には、驚きも大きかった。ただ著者は、あらゆる執着を捨て悟りを目指す仏門で学んだ経験があったからこそ、義元は「無私」の境地で働くことができたとしている。そのため斬新な義元像には、圧倒的なリアリティがある。

 作中には、義元が味方に負けを演じさせ、反転攻勢に出る巧みな戦術で勝利した花倉の乱など、迫力の合戦シーンが随所に描かれている。だが、それ以上に魅力的なのが、外交戦である。

 義元の交渉相手は、河越夜戦で山内・扇谷両上杉氏に勝利した北条氏康、父の信虎を追放して甲斐を掌握した武田晴信(後の信玄)といった智将ばかり。海千山千の義元、氏康、晴信が凄まじい頭脳戦を繰り広げる中盤は、息詰まる緊迫感に満ちている。

 氏康、晴信と三国同盟を結んだ義元の新たな脅威になるのが、信長である。信長は、家臣を使い捨て、反抗すれば非戦闘員も虐殺する冷酷無比な武将とされることが多い。だが本書に登場するのは、神経質で怒りっぽいものの、餅を売る老婆に尾張言葉でやさしく声をかけ、家臣を家族と考える包容力のある信長なので、冷徹な義元と同様に衝撃を受けるのではないか。

 尾張攻めを決めた義元は、人質として織田家にいた竹千代(後の家康)に信長の人となりを聞き、侮りがたい相手と確信する。万全の態勢で尾張に入った義元と、迎え撃つ信長が桶狭間で激突する迫真のクライマックスは、結果を知っていても手に汗を握るだろう。

 著者は、桶狭間の戦いを、非情の義元と有情の信長の対決ととらえた。義元の非情は、迷いなく国に尽くす覚悟なので、決して悪とはされていない。その義元が、情に足をすくわれる展開は、上に立つ者は、使命と情が相反した時にどのような選択をすべきかを問うリーダー論としても、非情に徹して成功するのと、情を重んじて平穏な人生を送るのと、どちらが幸福なのかを問う人生論としても興味深かった。

 本書には、従来と違う信長が描かれたが、信長も志半ばで明智光秀に討たれた敗者である。著者には、情に厚い信長が家臣に叛かれた理由を明らかにする続編を期待したい。

KADOKAWA 本の旅人
2017年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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