「ひとりぼっち」でなにが悪い? 無骨な作家のユニークなエッセイに、「自由なひとり」を学ぶ

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ひとりぼっちの辞典

『ひとりぼっちの辞典』

著者
勢古浩爾 [著]
出版社
清流出版
ISBN
9784860294625
発売日
2017/05/17
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

「ひとりぼっち」でなにが悪い? 無骨な作家のユニークなエッセイに、「自由なひとり」を学ぶ

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

「ひとりぼっち」であることは、とかく否定的に受け止められてしまいがちです。しかし『ひとりぼっちの辞典』(勢古浩爾著、清流出版)の著者は、そういった画一的な見方に真正面から抵抗しています。この社会には、「ひとり」に対する好奇と軽侮の視線が少なくないというのです。しかし、大切なのはそういうことではないという考え方。

外(世間)ばかりを見ずに、自分の内を見ること。自分の愉しみを見つけ、これが自分だと輪郭を明確にし、これでいいと自得すること。つまりつねに<自分に戻っていること>である。そして威風堂々とまではいかないが、ごくふつうの顔をして自由に「ひとり」を生きていけばいいのである。「ひとり」は人間の基本なんだから。「人」という字は、人と人が支えあっている形なんだよね、なんか、どうでもいいのだ。見方を変えれば、ただベタベタともたれあっている形にすぎないのだから。(「まえがきーー『ひとりぼっち』という言葉がさびしすぎる」より)

表現こそやや過激ですが、ある意味で核心を突いているとはいえないでしょうか? 著者は洋書輸入会社に34年間勤続したのち、退職後は作家として活動している人物。「あ行」からはじまる辞典形式のエッセイとなった本書においては、長い社会人経験を経て身につけた考え方を軸として、「ひとり」であることについての持論を展開しているのです。

きょうは「お金」「家族」「覚悟」など、気になるフレーズが並ぶ「『か』行の覚悟」内の【か】から、いくつかをピックアップしてみたいと思います。

お金

1. 絶対権力ではないが、この世の最高価値と見なされているもの。

2. 「お金はあって邪魔にならないから」なんて生意気な口調で、金欲しさの欲望の疚(やま)しさを軽減してきたが、ありすぎるとあきらかに邪魔になるーーと思うのだが、持ったことがないからわからない。しかし、なさすぎると心が荒みがちになる。これは経験済み。用例。大田南畝「世の中はいつも月夜と米の飯それにつけても金の欲しさよ」(36ページより)

「金のあるものは驕り、ないものは卑屈になる」と著者はここに記しています。もっといえば、卑屈になるというよりも心が逼迫するということ。有名な「貧すれば鈍する」という言葉は「貧乏をすれば心まで貧しくなる」という意味ですが、それはかなりの事実であると認めているのです。逆に「ふところが暖かい」という慣用句がいい表すのは、心の余裕のこと。だから「金持喧嘩せず」が成り立つというわけです。

ひとりで生きていくかどうかにかかわらず、お金は最低限必要なものです。もちろん、どのくらいの額が最低限なのかは、人それぞれ異なるもの。しかし、お金の増やし方など知らないと自認する著者は、「できることは地道に働くだけだ」と明言しています。しかし結局のところ、それこそがいちばん大切なことなのではないでしょうか?

家族

1.自分が生まれ育った家族は、死ぬまで生きつづける元型の家族である。

2. 自分が大人になって営むようになる家族は、第二の家族。

3. 自分の子どもたちが営むようになる家族は、第三の家族。どの家族が重要か、幸せか、という問題ではない。参考文。神官上村秀男の昭和二十年二月十六日の日記。「心慰まざるときは、ひとり黙して境内を掃き、拝殿を拭き、書に対す。(略)我れに忠男と武男とあり、天下無敵である」(上村秀男『遠い道程——わが神職累代の記』人間社)。このとき秀男は三十三歳。忠男は長男、武男は次男である。(37ページより)

著者の父は大分県佐伯市の農村で、両親と兄ふたり弟ひとりの家族のなかで育ったのだそうです。母親は若くして亡くなり、のちに父親も他界。父は十代半ばから働いて弟の学費を稼ぎ、中学校まであげたのだとか。父といちばん仲のよかった次兄は、警察官として赴任していた台湾で逝去。時を経て長兄が九州の遠い地で亡くなり、かわいがっていた末弟もがんで失ったのだといいます。

父は母と結婚し、わたしたち四人の息子をもうけた。数十年勤めた保険会社では、無遅刻無欠勤で、家族のために働いた。父の末弟が亡くなったとき、老齢の父が「ついに一人ぼっちになってしまったな」とつぶやくのを私は聞いた。(38ページより)

著者はそのとき「そうなのだ」と思ったものの、父親がそんなことを考えていたなどまったく知らなかったと気持ちを明らかにしています。つまり著者の父親は自分の家族のほかに、最期まで、元型の家族を生きていたということです。(37ページより)

格律

1. 自分ひとりだけの行動原則(ドイツ語ではMaximeマキシム)。

2. 人はしても自分はしない、人がしなくても自分はする。

3. ただし、ある辞書には「(倫理学で)みんながそれに従うことが求められる行動の基準」とある。(39ページより)

辞書では「みんな」ということになっているものの、著者はあくまで自分一個にとっての行動「基準」と理解しているのだそうです。実際、カントの原典に照らすと、これが正しいのだとか。「みんな」がみんな、ある行動基準に従うとは到底思えないし、「みんな」がどう行動しようと、自分にはかかわりのないことだから、というのがその理由。

そのため、「人がしても自分はしない」「人はしなくても自分はする」という自分だけの原則にならざるを得ないというのです。だから、堅苦しく窮屈な生き方だと思われるかもしれないと認めながら、実は逆で、むしろ心が自由な生き方であると主張しています。無理をしているわけではないから、心に一切の負債がないというのです。

「むしろ『みんな』に合わせることのほうが窮屈ではないか」という言葉には、強い説得力があるように思えます。

覚悟

1. 「格律」とかいっておきながら、こういうのもナンだが、「覚悟」という言葉は硬すぎる。武張(ぶば)りすぎだ。自分はこういうふうに生きていく、それで死んでいってもなんの文句もない、と考えること、ぐらいでいい。

2. 集団のなかにいても、いつでも<自分ひとりに還って来ることができる>人間。

3. だが頭のなかだけの覚悟は、現実の硬さを知らない「生覚悟」(だれの言葉だったか?)にすぎない。覚悟は揺れるのだ。(39ページより)

人間関係のこじれの多く(ストーカーなども含む)は、ひとりで立つことができない人が引き起こすものだと著者は指摘しています。人を支配することによって自分を支える者、腰巾着みたいに上に従うことで自分を支える者、ひとりの人に病的に執着することで自分を支える者、つまり「人に依存する者」はすべてそうだというのです。

でも、「わたしはひとりでいいや、それでいくわ」とあっさり決めてしまうことができれば、他人を自分のつっかえ棒にしなくてもいいということになるでしょう。そんな姿勢が大切だというのです。

東日本大地震の際、陸前高田市の一本の松が、津波にも負けることなく残りました。人はそこに不屈と健気さと孤高を見て、「奇跡の一本松」と称賛したものです。そこで、枯れ死とわかってからも募金で集めた多額の資金をつぎ込み、無理やり強化して保存しました。

では、人間の場合はどうでしょう? このことについて著者は、「多くの人は一本松のように生きようとはしない」と指摘しています。「それどころか、ひとりで生きている人間の足を引っぱることばかりしている」とも。(39ページより)

簡潔にまとめられた文章には太い芯が貫かれており、非常に個性的かつ魅力的。ドキッとしてしまうほどの大胆な表現が登場してもさほど気にならないのは、言葉の裏側にさりげないやさしさを感じることができるから。だからこそ、「ひとりぼっち」でいることを気にしている人には、ぜひとも手にとっていただきたい1冊です。読み終えたころには、考え方が変化しているかもしれません。

メディアジーン lifehacker
2017年6月6日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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