佐藤優は「辺野古遠望」に「沖縄を処分して構わない異民族としか見ない」日本の歴史の本質を読み取った

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佐藤優は「辺野古遠望」に「沖縄を処分して構わない異民族としか見ない」日本の歴史の本質を読み取った

[レビュアー] 佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

「新潮」2017年2月号
「新潮」2017年2月号

 大城立裕氏が『新潮』2月号に掲載した「辺野古遠望」は、沖縄人の内在的論理を見事に表現している。小説の中に複雑な政治的現実を見事に包み込んでいる。この作品を精読すると、辺野古新基地建設問題が原因で沖縄と日本の関係が悪化したという結果をもたらしたという認識が間違っていることがよくわかる。沖縄と日本の歴史的関係、さらに日本による沖縄差別の構造が原因で、辺野古問題はその結果なのである。大城氏は沖縄の日本復帰を振りかえり、こう述べる。
〈かつて――日本復帰のすこし前のことであったが、こんなことを書いた。
「琉球の日本への同化の機会が、歴史上三回あったが、いずれも挫折した。第一の機会は十七世紀の薩摩の侵入。三百年の植民地支配のうちに文化の面でかなりの同化があった。ただ、政治支配の過酷さが真の同化を許さなかった。第二の機会は琉球処分とよばれる日本への併合で、その後に生じたのは差別とそれへの反応としての劣等感、僻みであった。第三の機会は沖縄の戦争で、学徒隊の悲痛な努力に見られるように、同化をめざして命がけでたたかったが、講和条約では同化を拒否されるように裏切られた。第四の機会が祖国復帰であるが、それが成功するかどうかは、これからの宿題である……」
 祖国復帰――施政権返還の運動が燃えていたころ、私は右の宿題をかかげて、日本復帰にはいろいろのデメリットもあるかもしれないが、と治外法権の撤廃だけに復帰の意義を賭けた。ところが今日なお治外法権は揺るぎがない。それと同趣旨のように、辺野古の押し付けがある。〉
 辺野古新基地建設という可視化された形態で、日本は沖縄人の同化を拒否しているのである。このような現実を正面から見据えずに、沖縄差別は存在せず、問題は在日米軍基地負担の不平等にあるという日本の中央政府を「思いやる」言説を沖縄人が展開しても、日本は沖縄人を対等な同胞として受け入れない。大城氏はこの現実を冷徹に見据えている。そしてそこに1789年の日本政府による「琉球処分」の反復現象を見る。
〈自民党の前の幹事長は、「琉球処分と言われようが、どう言われようが 」と堂々と開きなおって言っていた。
 彼らは沖縄を処分して構わない異民族としか見ていない。
 彼らの動機の基本は日米安保条約におけるアメリカの権益にたいする遠慮であって、その傘の下でみずからの安全を享受している。これこそ恥も外聞もかなぐり捨てて、アメリカに遠慮しているということだ。琉球処分は植民地獲得のためであったが、こんどは「植民地」の何だと言えばよいのだろう。〉
〈彼らは沖縄を処分して構わない異民族としか見ていない〉という大城氏の指摘が事柄の本質なのである。この現状認識から出発しなくてはならない。
 沖縄としては、「日本人がわれわれを異民族として取り扱うならば、われわれは自己決定権を行使する」という方向に向かうのが当然の成り行きだ。

太田出版 ケトル
Vol.36 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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