堀部篤史は『京都の中華』に込められた、店を消費することへの警鐘を聞く

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京都の中華

『京都の中華』

著者
姜 尚美 [著]
出版社
幻冬舎
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784344425477
発売日
2016/12/03
価格
880円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

堀部篤史は『京都の中華』に込められた、店を消費することへの警鐘を聞く

[レビュアー] 堀部篤史(「誠光社」店主)

堀部篤史
堀部篤史

 京都の食文化はややこしい。パブリックイメージとして捉えられがちな湯豆腐や懐石料理などは、地元の人間にとって非日常でしかない。「京風」と聞けばあっさりした味付けの料理を連想しがちだが、京都のラーメンは総じてコテコテな濃口が多い。いまや全国チェーンとなった「天下一品」や「王将」が京都発祥なのを意外に思う方も多いのではないだろうか。ハレとケ、というよりも、外からと内側からで街の表情が全く異なるのが京都である。客をもてなす際には、京都らしい雅な場所に案内し、自分たちは庶民的で「値打ちのある」美味しいものを愉しんでいる。「値打ちがある」というのは「コストパフォーマンス」が高い、ということと同じようで実は違う。損得の問題ではなく、自分たちの経済状況や住居環境にあった中での最良という、むしろ「ちょうどいい」に近いニュアンスが込められている。京都人の「ちょうどいい」日常食が実は中華や焼肉であることは、そこに代々暮らす人間でなければ説明し難い感覚だ。
 2012年に京阪神エルマガジン社から刊行された『京都の中華』が先日文庫としてリニューアル復刊した。京都の人間が日常的に通う中華料理店には共通項がある。広東料理をベースに花街に育てられたという、にんにくを使わない京都ならではのアレンジを施した味ももちろんのことだが、営業スタイルや客あしらい、佇まいまでも含め「ちょっと違う」と著者の姜尚美さんは綴っている。
 文庫化に際して追加掲載された「菊乃井」ご主人、村田吉弘さんと著者との対談が実に面白かった。
 世間の狭い京都では、一見の店を食べ歩くのではなく、歩いて、もしくはせいぜい自転車で足を運べる範囲の店に何度も通う。東京のように選択肢が多くないゆえに、店は客の好みを融通し少しずつ育っていく。手頃で、酒盛りをするような客も多くないゆえに、家族の場として親しまれるここに掲載されているような店は孫の代まで続けて通う客もざらだ。東京や大阪の市内に比べてさほど相続税も高くない上に、チェーン展開をするでもないそれらの店は、一代に終わらず、営業スタイルも変わらず、のんびりと同じ場所で営業をするがゆえ、腰を据えた客との付き合い方ができるのだろう。村田さん曰く、「トロを毎日食えるか言われたら食えんやん。せやけど鯛を毎日食え言われたら食えるわな」。
 つまり、繰り返し通うという文化ゆえに育った味なのかもしれない。また対談のなかには、京都に「ものすごくまずいという店はない」といった話題も登場する。
 先日ひいきにしていた中華料理店「鳳泉」の前を通りがかると、平日なのに行列ができていた。数少なくなってきた好みの中華料理店が流行り、このまま長続きしてくれることは嬉しい。しかし、地元で愛される京都の中華が「京都中華」と略称されブームになるのはちょっと困ってしまう。本書をよく読めば、随所に店を消費してしまうことへの危惧が読み取れるはずだ。

太田出版 ケトル
vol.35 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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