『ラカン的思考』
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ラカン的思考 宇波彰 著
[レビュアー] 宗近真一郎(評論家)
◆軋轢に悩む個人のために
「忖度(そんたく)」(虞(おそ)るべし)、政治的失言と撤回、KY(空気読めない)、ネット炎上(同調圧力の猛威)などの現象に私たちは頻繁に遭遇する。これらは、まず言葉の世界の出来事であり、自分と他者や社会集団との錯綜(さくそう)する関係の心理的な軋轢(あつれき)の反映であり、大概は隠されていること(言われていないこと)に端を発する。パリのフロイト派を主導したラカンは現代思想の最難関に属するが、その要点を有機的に描き、文字通り「ラカン的思考」を駆使して、複雑で抑圧的な現代社会に臨むための知恵を授けてくれる一冊である。
まず、主体(私)は、他者という鏡に映されて初めて心身ともに統一的な存在として現れる。その主体が「考える」とき、それは言語による行為であるが、言語とは他者が既に考えたことが反復・コピーされたものだから、主体は欠如(消滅)する。自己の欲望というものは他者(母に象徴される大文字の他者)の欲望である。そのように、主体は他者と相互主体的あるいは同一的に存在する。次に、かたち(形式、儀式、身体など)が内容(意味、信仰など)を作り出す。つまり、言葉の領域にある内容は新しい関係に応じて事後的かつ反復的に配置換えされて解釈(理解)され、その際、的外れなものや隠されたものが見いだされる。
ラカンはこの考え方をコジェーヴのヘーゲル講義で学んだという著者は、同じ講義に出ていたベンヤミンの過去と現在の「星座的構成」(歴史主義批判)や、言語の介入の事後性から「差延」や「代補」という概念を形成したデリダとの輻輳(ふくそう)的な関係を浮き彫りにする。さらに、プラトンやスピノザ、アレント、ロラン・バルト、ジェイムスンらとの交差が語られ、思想の饗宴(きょうえん)の様相を呈す。
だが単なる啓蒙(けいもう)書ではなく、終章でネット社会の「フィルター・バブル」(同質的情報選択)へ警鐘を鳴らす本書の構造自体が「ラカン的思考」の優れた実践であることが明らかになる。
(作品社・2592円)
<うなみ・あきら>1933年生まれ。評論家・翻訳家。著書『記号論の思想』など。
◆もう1冊
斎藤環著『生き延びるためのラカン』(ちくま文庫)。幻想と現実の混在する現代社会をリアルに生きるためのラカン思想の解説書。