【文庫双六】短歌はミステリの格好の材料になる――川本三郎
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
短歌はしばしばミステリの格好の材料になる。
イギリスの民謡「マザーグース」が、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』などのミステリの題材になったのと同じ。
短歌が殺人の手がかりになる。短歌が殺人を呼ぶ。
歌人で評論家の齋藤愼爾氏は『短歌殺人事件』(光文社文庫)というミステリ小説集を編んでいる。松本清張の「たづたづし」、海渡英祐の「杜若(かきつばた)の札(ふだ)」、倉橋由美子の「月の都」など、短歌が殺人の鍵になるミステリの秀作が選ばれている。
このアンソロジーのなかでも出色なのは、連城三紀彦の「戻り川心中」。
現在、光文社文庫に入っている。ミステリ史上のなかでも傑作のひとつ。
短歌を読み解くことで謎が解ける。主人公は大正時代の天才歌人。愛人のカフェの女給と心中をする。
愛人は死んだが、自分は生き残った。そのあと五十数首の歌を詠み、女を追って自害する。死後、歌集が出版され、大評判になる。
彼の死には謎が多い。
カフェの女給より前に、良家の令嬢との恋愛沙汰があり、やはり心中事件を起こした。この時は、二人とも生き残った。
歌人が本当に愛したのはこの令嬢の筈。とすると、カフェの女給との心中は何だったのか。邪魔になった彼女を殺し、自分だけ生き残ったのではないか。
大正期のデカダンスがにじんでいる。歌人は、画家の竹久夢二を思わせる。
一九八〇年の作。当時、大正時代の作家たちの耽美主義に惹かれ、文芸評論『大正幻影』(新潮社)を書いていた頃だったので、このミステリに圧倒された。
「戻り川」とは、前に流れているようで実は元に戻っている不思議な川。「世の中は行きつ戻りつ戻り川水の流れに抗(あらが)ふあたはず」の歌が歌人の作として紹介されている。
歌人は無論、架空の人物。心中する場所「千代ケ浦」も架空だが、おそらく霞ケ浦。本作を読んだあと水郷に出かけたものだった。