本を出し続けるための道筋を

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

本を出し続けるための道筋を

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 副題に「私の歩んだ戦後と出版の七〇年史」とある。この本の書かれた目的とは離れるかもしれないが、このタイトルの第一部を読んで、そこに出てくる人名の多彩さにまず圧倒された。

 当時は無名の若者でも、のちに名を成す人が周囲に多かったということがまずあるし、詩人の北村太郎が岩波書店を蹴って朝日の校閲部に入社していた、ダイヤモンド社で自己啓発本の翻訳を出していた出版部長が横浜事件で特高の追及を受けつつ敗戦まで逃げ切った人だった、といった誰かを描くときのちょっとしたエピソードがめっぽう面白い。

 海軍航空隊から復員した著者は、戦後まもない昭和二十三年冬、大学生のときに近代文学社で働き始める。荒正人、埴谷雄高らが同人の「近代文学」を出すためにつくられた小出版社である。その後、南雲堂をへて早川書房に入社。昭和三十年にチャールズ・E・タトル商会に入り、以後、翻訳権エージェントとして新しい道を切り拓いてきた。

「近代文学」では編集部が原稿を紛失した野間宏に謝りに行ったり、安部公房から「壁」の原稿を受け取ったり。早川書房時代には、遠藤周作の最初と二番目の著書(『フランスの大学生』『カトリック作家の問題』)を世に出してもいる。

 占領下から独立し、徐々に翻訳ビジネスが正常化していく道のりと、著者の個人史は重なる。英米の出版物の仲介を一手に引き受けていた事務所の寡占を崩し、エージェントでありながらアドバンスの高騰を防ごうとする態度がアメリカの出版専門紙「パブリッシャーズ・ウイークリー」で批判されたこともあった。

「やせ我慢」と、著者自身がいう姿勢がずっと貫かれている。それは、特定の人間の利益を図るよりも、当事者それぞれにとってちょうど良い、長く本を出し続けるための道筋をつけよう、ということなのだろう。著者が出版社で働いた期間は短いが、読者のものの見方を変えるような本を世に出したい、という編集者の視点は七十年間変わらなかったようだ。

 自伝的な第一部を個人的な関心もあって非常に面白く読んだが、著者が世に伝えたいのはむしろ、実務的な内容の第二部以降かもしれない。

 人は誰でも、いま目にしている現実を何か定められたもののようにとらえがちだが、実際には絶えず変化しており、いまの現実もその途上にすぎない。電子出版の時代に、「翻訳権一〇年留保」問題への著者の取り組みを知ることは改めて意味を持つ。

 本書は太田出版の「出版人・知的所有権叢書」というシリーズの第一巻として出版された。出版にとって厳しいこの時期に、こういう名前の叢書が出ること自体、特筆すべきことだと思う。

新潮社 新潮45
2017年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク