巣立つ娘へ母からのメッセージ。転んだときに立ち上がるためのサイバラ流サバイバル術。〈刊行記念インタビュー〉西原理恵子『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』

インタビュー

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〈刊行記念インタビュー〉西原理恵子『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』

ものすごく美人というわけでもなく、勉強ができるわけでもない、どこにでもいるフツーの女の子が、どう生きていったらいいのか。『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』はサイバラ流のサバイバル術を語り下ろしたエッセイ。そこには、巣立ちの時を迎えた子どもたちへの思いが詰まっていた。

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この本が、
女の子が人生で転んでも
また立ち上がるための
セーフティネットに
なってくれたら嬉しい。

――西原理恵子さんの新刊『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』は、母から娘へ語っておきたかったサイバラ流の生きる智恵が詰まった一冊です。

西原 「本の旅人」で、おばちゃんたちの人生相談『スナックさいばら おんなのけものみち』を連載していた時に思ったんです。若い娘さんたちが夢見ている未来とおばちゃんたちのくぐり抜けてきた現実って、天と地ほども違う。それこそ大人になる時にビッグバンが起こって、惑星が限りなく軌道をズレていくみたいに枝分かれしていくんだなって。女の子って、自分が絶世の美女じゃないって気がつくのにも時間がかかるんですよ。二十歳過ぎても“アタシ、イケてる”って勘違いしてるブスとか平気でいますから。“またコクられちゃった”って浮かれてるのは本人だけ、いや、それ、単にヤラせてくれるからだけですって。それで四十、五十になってドン詰まっていたりする。

――そのくらい自分の現実を認めるのにも時間がかかる、と。

西原 十四歳くらいで、いきなり髪染めちゃったり何かやらかす子が多いのは、それまでプリンセスやアイドルを夢見ていた子たちがだいたいその年頃に“あれ?”って思い始めるかららしいですよ。それくらい他者と自分を客観的に比較できるようになるって難しいことなんです。男の子は社会に出て、すぐ世間に冷たくされることで自分の身の丈に気づけたりするけど、女の子はとりあえず若いってだけでちやほやされるぶん、なかなか気づけなかったりする。それで四十、五十になってからどうしようって嘆いたって、もう誰も助けてくれませんから。生きていれば、人は必ず転ぶんです。大事なのは転んだ時の立ち上がり方で、きれいごとのアドバイスじゃ役に立たないことがある。子どもを抱えてから困る、離婚してから困る、別れられないから困る、いろんな困り方があるけど、その時にどうすればいいのか、知らないと大ケガすることになる。

――身動きとれなくなってからじゃ遅い、とにかく次の一手を打てるようにしておけというのは、本の中でも繰り返し語られています。

西原 それは私自身が逃げ遅れたからです。鴨ちゃん(当時の夫)が酔って毎晩暴言を吐くようになったのは、長男が生まれてすぐのことで、いいところもいっぱいある人だったのに、“なんで? どうして?”と思ってるうちに、結局離婚するまで六年もかかってしまった。人って壊れるんですよ。どんなにいい人でも変わってしまうことがある。若い時はそれがわからなくて、一度は好きになった相手だと思うとなかなか手を離せなかったりする。この間、同窓会に行ったら、夫がリストラされて、だんだんお酒を飲むようになって、しまいには暴力を振るうようになったから熟年離婚したという人が何人もいました。長年連れ添った真面目なお父ちゃんでもそうなることがあるんだから、結婚する前にダメな男かどうかを見抜けと言ったってムリなんです。私の母親の世代は、それでも我慢する女、耐える女がエライと褒められたけど、冗談じゃないですよね。うちの母親も、いまだにそれで思い出し怒りしてますから。たとえ殴られていなくても、あなたの人格を否定されるようなことを言われたり、やられたりしたら、それはもう暴力なんです。暴力からは、とにかく逃げてください。そういう時はあとさき考えずに逃げていいんですよ。私もそうでしたけど、まさかという事態に直面すると、人ってフリーズして、まともな判断ができなくなるんです。だから前もって知識を身につけておくこと、ちゃんと対策を立てておくことが必要で、この本がそのセーフティネットになってくれたら嬉しいですね。

もしや自分って底辺じゃね?
夢から覚めてからが人生だから

――この本では、反抗期を迎えた娘さんとのやりとりも赤裸々に語られています。

西原 うちの娘は、今十六歳なんですけど、ついにその時が来たかと。娘が思春期なのに母親が熱愛宣言なんてしたら、そりゃあ反抗期をこじらせますって(苦笑)。のびのび好きなことをやりなさいって育てたら、のびのび好きに反抗してるって感じですね。

――「子どもが巣立ちの時を迎えたら、母親の立場は元カレと心得よ」というのは、なかなか子離れできない親御さんもいる中で金言だなあと。

西原 女の子って新しい彼氏ができたら、元カレなんて鼻クソじゃないですか(笑)。やりたいことができた子どもにしたら、親なんて、そのくらいのもんですよ。私は、もともと家族は仲良くなくていいという考えなので。家族といえども相性がある。何でもわかりあいましょうというのはウザイでしょ。

――娘さんの場合は、演劇というやりたいことを見つけたことで大人になろうとしている。西原さんの場合はどうでしたか。

西原 私は、絵を描くことが好きだったので、あの頃大流行りだったイラストレーターになろうと。当時はヘタウマのイラストが大人気だったので、このくらいの絵だったら自分でもやれるんじゃないかって勘違いしやすい土壌があったんですね。今でいう読モみたいな(笑)。上京して、叩きのめされましたね。予備校に行ったら、デッサンがいきなり最下位。自分は何か面白いものを持ってるわけじゃなくって、ただヘタなだけだった。予備校のうちに、上手な人と自分の何がどう違うのかを客観的に判断できるようになったことは大きかったですね。自分が進むべき道は、そっちじゃないって、早めに気づくことができたんで。

――そういう上京組の現実って、たぶん今も昔も変わらないところがありますよね。

西原 そうですね。ちょうど大学に入ったばかりの息子が言ってたんですけど“量産型の女子大生がいっぱいいる”って。確かに同じ髪型で同じ服着てれば安心ですもんね。同じようにちょっと茶髪のゆるふわの髪型にして、流行のピンクっぽい服を着た女の子が向こうから大量にやってきたんで、息子はまったく見分けがつかなくて怖かったって(笑)。でもそれだって自分を守るためだと思うんですよ。女の子って、そういうの見つけるの早いですから。私なんか十四歳くらいでアイドルになれないことはわかったけど、十八、十九くらいで“ちょっと自分、底辺じゃね?”って自覚がやっと生まれましたね。東京の男の子だったら、たぶん高二くらいが地獄だと思うんです。今まで楽しい学校生活だったのが、部活やっても全然レギュラーになれないし、偏差値で自分がどのくらいのランクの大学に行けるのかを思い知らされて八方ふさがり。みんな、だいたいそのくらいの年齢で絶望する。

――西原さんはそういう地獄や絶望を、どうやってくぐり抜けてきたんですか。

西原 私の場合は、やっぱりあの田舎には帰らないっていうことでしたね。うちは進学も上京も当たり前に許される環境じゃなかったので。父親が首を吊って、母親がボコボコに殴られたあの場所にいたら、自分もいつか男に殴られて、子どもを殴る人間になってしまうかもしれない。あのつらい、悲しい場所には絶対に帰らないと思うから、どんな時も前を向いて頑張ることができた。それこそカンボジアの子どもがあの山を越えたら何かあるんじゃないかって思うみたいなものですよね。まだネットも何もなかった頃、カンボジアの動物園でパイナップルとか売ってる子たちがいて、話を聞いたら、最初に来た子はサドルもない自転車とかめちゃくちゃなものに乗って山を越えてきた。山を越えれば、何かあるんじゃないかって、その一心。来てみたら動物園があった。それで兄弟もみんな呼んで、パイナップルもヤシの実もタダで採ってきて観光客に売って稼いでる。私も同じ。とりあえず山を越えてみようって。来てみたら、もっと怖い地獄が待っていたんですけどね(笑)。歌舞伎町のミニスカパブで働いて、酔っぱらいで満員の最終電車に乗って、やっとのことで東村山のボロボロのアパートにたどりつくと無職の男が待ってるというフルコース。東京暮らしは息をするのにもお金がかかると実感して、何度逃げ出したくなったことか。でも悩む、困るより明日の三千円が要る。それを払わないと水道が止まるんですよ。その前に電気は容赦なく止まりますからね。とにかく目先のお金を稼ぐこと、そのためには要らんプライドは捨てて、レベルを下げることを学びましたね。働かないで男のところに転がりこんだりしたらどうなっちゃうかっていうのは田舎でも散々見てきたんで、ちゃんと人としての生活はしようと思っていたのも良かったんでしょうね。水商売が最も効率がいいみたいに言われてるけど、そんなことないですよ。本当に器量がいい子は別だけど、市場価値というのは残酷で、普通の子が水商売したところで結構ノルマがあったり、クリーニング代とられたりでガンガン引かれるんで特別儲からない。炉端焼きとか皿洗いとかいろんなアルバイトをしてみたけど、何をやっても叱られるばっかりで苦痛でしかなかった。一枚八百円のイラストでも十枚描けば八千円になる。その仕事を見つける方が水商売で怒られ続けるより全然いい。絵の仕事でちゃんと稼げるようになったら、無職の男もちゃんと“男捨離”できたんです。あんな男でもいないと寂しいと思っていたのが、新しい部屋に引っ越すぞと決めた途端にパッと目が覚めました。

――この本は、女の子が自分で稼いで自立するためのサバイバル術の本でもある。

西原 結婚しても、お金がないと離婚できなかったりしますからね。人間って立派じゃないから“私さえ我慢すれば”がいつの間にか“あんな男、死ねばいいのに”になっちゃう。本気の悪口を言うようになったら別れなさいって言いたいですね。真面目な女の人ほど頑張りどころを間違っちゃったりするんですよ。アルコール依存症やギャンブル依存症は病気ですから。家族の愛で何とかしようとしても無理で、医療のプロの手を借りるべきなんです。そういうボーダーラインをあらかじめ知っておくことで対策が立てやすくなるはず。娘にもずっと言ってきたんですよ。“あのね、欲しいものは誰かに買ってもらうんじゃなくて、自分で買いなさい”、“お寿司も指輪も自分で買おう、その方がずっと楽しいよ”って。

――子どもたちが巣立ちの時を迎えて『毎日かあさん』の連載も幕を閉じることに。

西原 私は現場が好きなんですね。子育ての現場も本当に楽しかったので、子どもたちには楽しかったよ、ありがとうって。息子がアメリカに留学したあたりで、そろそろ連載を終える潮時かなと思っていたら、娘が“絶対やめないで。私がもっとやらかすから”って言ってたんですけどね。卒母宣言したら、私も次の人生です。今度はかあさんがやらかす番。今って人間結構長生きですから、残りの人生はゲラゲラ笑いながら大いに老害で楽しんでいきたいと思っています(笑)。

西原理恵子(さいばら・りえこ)
1964年高知県生まれ。88年『ちくろ幼稚園』でメジャーデビュー。96年カメラマンの鴨志田穣と結婚し、一男一女をもうける。97年『ぼくんち』で文藝春秋漫画賞、2004年『毎日かあさん カニ母編』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、05年『毎日かあさん』『上京ものがたり』で手塚治虫文化賞短編賞、11年『毎日かあさん』で日本漫画家協会賞参議院議長賞受賞。

取材・文|瀧晴巳  撮影|ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2017年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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