従来の「滔天像」を覆す野心的評伝

レビュー

5
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

謀叛の児

『謀叛の児』

著者
加藤 直樹 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784309247991
発売日
2017/04/24
価格
3,024円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

従来の「滔天像」を覆す野心的評伝

[レビュアー] 山村杳樹(ライター)

 一般に流布している宮崎滔天の人物像といえば、孫文との交流を通して中国革命を支援した右翼の夢想的アジア主義者、というあたりではないだろうか。

 本書は、滔天の生涯と言説を詳細に辿り、「その思想性に光を当てることで別の風貌を浮かび上がらせ」、通説を覆さんとする野心的評伝である。

 宮崎滔天(本名・寅蔵)は、一八七一年(明治三年)、熊本県の荒尾村(現・荒尾市)の村一番の地主の末子として生まれた。長男・八郎は、熊本民権党の指導者として西郷隆盛と共に維新政府と戦い、一八七七年に戦死。この際、父が叫んだ「宮崎家の人間は今後一切、官の飯を食うてはならぬぞ」という言葉は、民蔵、弥蔵、寅蔵の三兄弟の生涯を決定づけたという。徳富蘇峰が開いた私塾・大江義塾で自由民権思想に接した滔天は、上京し、啓蒙思想家・中村正直の私塾に入学する。そして、散策中に偶然入った教会でキリスト教に出会い、洗礼を受けるに至る。著者は、「それは、自由民権というアイデンティティーを手放し、普遍的な思想性を受け入れることを意味していた」と書く。帰郷した滔天は、「松方デフレ」で荒廃を極める村の姿に衝撃を受け、「パンか、福音か」の難問に直面する。またこの頃、イサク・アブラハムというヨーロッパから渡ってきたアナーキストと出会い、その文明批判と主義信念の断行に強烈な影響を受けた。

 兄・弥蔵の「中国革命から世界革命へ」なる構想に天啓を受けた滔天は、「日本人をやめて中国人になる」ために上海へ旅立つ。しかし、資金不足で計画はあえなく挫折。著者が指摘する「思索の深さとあざやかに反比例するような現実的な無能力さ」は、生涯、滔天につきまとうことになる。

 政治家・犬養毅の知遇を得た彼は、玄洋社の首魁・頭山満、黒龍会の創始者・内田良平などと人脈を築いていくが、なんといっても運命的だったのは、孫文との出会いだった。孫文は滔天、内田たちと「恵州蜂起」を試みるが失敗。一年間の内省生活の末に、滔天は奇矯な決意を固める。桃中軒雲右衛門に弟子入りし、浪曲師になるというのがそれ。しかし、四年後、滔天は初心に舞い戻り、中国留学生を支援しながら、新聞「革命評論」を刊行し、中国革命の情勢を伝え続けることになる。「両国の十分なる了解の下に支那問題が解決さるれば、日米関係は融和すべく、それが出来ねば日米戦争は支那問題に依つて誘起せらるるであらう」という滔天の認識の正しさはその後の歴史によって証明されている。

 本書には、従来の「アジア主義者・宮崎滔天」というイメージを根底から変える説得力がある。浅薄な反中論が溢れるいま、宮崎滔天の真摯な再評価は極めて重要な意義を持つと言える。

新潮社 新潮45
2017年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加