超人的作家が「安楽死」という禁断の領域に切り込んだ

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白い悪と黒い善を描き切る、怪物・中山七里

[レビュアー] 内田剛(ブックジャーナリスト・本屋大賞理事)

 中山七里は怪物である。睡眠時間は一日一時間、トイレは一日一回、睡魔に勝つために足の指にコンパスの針を刺し血まみれになって執筆する、などの都市伝説的な怪物神話を持っているが、その仕事量は超人的である。連載は常に十本以上抱え、単行本の刊行は途切れることなく、早いときは二か月おき。しかも刊行予定は数年後までぎっしり。恐るべき分量もさることながら、世に送り出される作品の質もまた凄まじい。〝どんでんがえしの帝王〟という異名もすっかり馴染んでおり、この作家を前にしてどんなことが起きようが驚かないが、常に前作を更新し続ける力量には正直、鳥肌が立つほどだ。本人曰く「作品を書き続けている以上、その腕前が上がっていくのは当たり前」とのことだが、そんな簡単なことではあるまい。いい作家は時代を先取りするテーマをものにするが、まさに中山七里作品を読めば、いま現在、そしてこれからの時代がよくわかる。真の正義を問いかける社会派でもあり、いま最も信頼のおける作家のひとりであると断言できる。

 さて本作『ドクター・デスの遺産』もまた社会派・中山七里の本領発揮の充実作だ。刑事犬養隼人シリーズの最新作で「日刊ゲンダイ」連載の単行本化であるが、テーマはズバリ「安楽死」。巨匠・手塚治虫が生み出したブラック・ジャックのライバル、ドクター・キリコが想起され、実に深遠な主題だ。生きる権利と死ぬ権利。相反する当事者たちの相克と懊悩。いまだ結論の出ない禁断の領域に鋭く研ぎ澄まされたメスのような筆致で切り込んでいく。

 物語は「悪いお医者さんが来て、お父さんを殺しちゃったんだよ」という少年からの衝撃的な通報から始まる。安楽死を請け負う医者を追及するスリリングかつミステリアスな展開も絶妙だが、そうした違法の医者に頼らざるを得ない苦渋の選択も身に迫る。内容的には医療ものでも刑事ものでもあり、さらに家族ものとしても読める。中山七里のエッセンスが凝縮された一冊ともいえよう。

 介護地獄で疲弊し安楽死で救われる人もいれば、あくまで法という名の正義の下、使命感を持ってわずかな命の灯を守ろうとする者もいる。生きたい、死にたい、それぞれの慟哭が胸を激しく揺さぶり続ける。

 この世界は光と影で出来ている。その明暗を描ける作家は数多あれど、眩しい光の中の悪意に満ちた闇や、善意をも感じさせる暗黒の中の光明を描き切れる作家は稀である。一見クールで理知的でも底辺には人肌の情が流れている。登場人物の底知れぬ人間らしさが印象的だ。人は誰しも直接的な死と対峙しなければ真剣に「安楽死」について考えないだろう。この作品は単なる問題提起の書ではない。来るべき現実に向けた語り合うべき実用書だ。

 中山七里ほど人を楽しませる術を知っている作家も珍しい。個人的にも彼の仕事場に近い書店で勤務している関係上、しばしばお会いする機会に恵まれているが、作品同様にトークがまたたまらなく楽しい。とりわけ出版業界のこと、趣味の映画のことでは、話題は興味深く尽きることがない。特筆すべきは記憶力の良さ。説得力のある細かな描写を読む度に、どれほど時間をかけて取材を重ねたのかと思いきや、かつて観た映画やニュースなどが細かに脳裏にインプットされており、そこからのインスピレーションで物語が構築されていくという。まさに生まれながらの作家である。

 怪物・中山七里は一体どんな次元に到達してしまうのか、末恐ろしくて仕方ない。水泳選手が手に水掻きを持つように、この作家は書いているうちに作家体質を極め読者に現代の矛盾と来るべき未来の姿を見せ続けていく。私はその異次元を体験したいが故に書店員を辞められない、と言っても過言ではない。近い将来、AI作家が登場し文壇を席捲するかもしれない。しかし中山七里だけはいかなる黒船にも打ち勝つであろう。

KADOKAWA 本の旅人
2017年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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