多感な少女だけに許された幻視の力

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黙視論

『黙視論』

著者
一 肇 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041025307
発売日
2017/05/31
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

言葉を封印した少女は幻視の力で闇を暴く

[レビュアー] タニグチリウイチ(書評家)

 少女はよく幻を視る。片渕須直監督が『この世界の片隅に』の前に作ったアニメ映画『マイマイ新子と千年の魔法』で、昭和三十年の山口県防府市に暮らす小学生の新子や貴伊子は、千年前にそこにあった貴族の館で暮らすお姫さまの日々に入り込む。神山健治監督のアニメ映画『ひるね姫~知らないワタシの物語~』で、女子高生の森川ココネは夢の中で魔法と機械が対立する世界に入り込み、気がつくと岡山から東京へ来てしまっている。

 多感で繊細な少女だけに許された幻視の力といえそうだが、それがいつもワクワクとさせられる冒険的なものだとは限らない。一肇の『黙視論』で女子高生の幸乃木未尽が視る幻は、目の前にいる他人が勝手に自分のことをペラペラと喋り始める姿。それを未尽は「黙視」と呼んでいる。

 遅くに下校しようとして、花壇の前で赤いバンパーの付いたスマートフォンを未尽が拾ったことから幕を開ける『黙視論』という物語。《おーい、拾った人!》《誰か見つけて》というショートメールが読めたスマホを家に持ち帰ると、持ち主から新たに契約したという携帯の番号が届く。その番号に自分のスマホからメールを送ってしまったことで始まったメッセージ交換の中で、相手から、未尽の高校に爆弾を仕掛けた、起爆装置は落としたスマホだと告げられる。

 テロの予告。けれども誰かに話せず迷っていた未尽が、通りがかったプールで落としたコンタクトレンズを捜す無茶をしていた同級生の崇橋恭也を前にした時、「黙視」の力が発動して「ござる」という語尾のインチキなサムライ言葉が聞こえてくる。前の生徒会長で、今は生徒が持ち込む相談事を解決して名探偵と呼ばれている女子の神輿沢れんに会いに行った時は、ボクと自称して饒舌に爆弾魔をプロファイリングする「黙視」が走り出す。

 その中で未尽は普通に相手と会話をしているが、現実の世界で彼女はすこしも喋らない。母親の死や父親の再婚といった出来事をきっかけに、未尽はもうずっと喋ることを止めていた。その代わりに得たのが「黙視」の力。自分が言葉を発しないことで、現場では成り立たないコミュニケーションを想像力の中だけで済ませてしまおうとする、逃避であり自己防衛の振る舞いともいえる。

 そんな「黙視」で未尽が視るのは、想像の翼を広げるような新子やココネの幻視とは反対に、想像の針を自らに突き立ててえぐり出す自身の心の闇だ。未尽が本当に解決したかった、家族を見舞ったある不幸と兄をとりまくトラブルが積み重なって起きた自らの苦悩が浮かんでくる。正にも負にもなる少女の幻を視る力の凄まじさにおののく。

 未尽は「黙視」を妄想だと自覚している。対峙する相手にとっての「ありえたかもしれない物語」を読んでいるだけだと感じている。つまりは絵空事に過ぎない「黙視」から、崇橋恭也が必死にコンタクトレンズを捜す理由、超然としているように見える神輿沢れんが抱えている懊悩が浮かんでくるから面白い。未尽が言葉を発しない代わりに相手を深く観察し、言葉を良く聞いてそこから幻の言葉を紡ぎ、風景を描き出しているからなのか。優れた観察力で得た情報から真相へと迫る名探偵の物語を読んでいるようだ。

 未尽は、九童環と名乗ったスマホの持ち主から爆弾テロを予告され、それを防ごうとして崇橋恭也や神輿沢れん、兄の幸乃木太助と会う。そのたびに「黙視」を行い、九童環は誰なのかを探っていくが、正解を得たと思ったらまた別の容疑者が浮かぶ繰り返しが、読者を次第に幻惑していく。さらに「黙視」の果てにクライマックスへとたどり着いた未尽の行動が、本当に現実の世界で繰り広げられたものかも分からなくってくる。

 すべては未尽の「黙視」によって視せられた幻だったのか? 異色の作家によって、よく幻を視る少女を通して仕掛けられた謎。解き明かすためにさあ、貴方も黙視の力を振るうのだ。

KADOKAWA 本の旅人
2017年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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