『ネガティブ・ケイパビリティ』 帚木蓬生著

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『ネガティブ・ケイパビリティ』 帚木蓬生著

[レビュアー] 尾崎真理子(読売新聞本社編集委員)

困難に耐え考え抜く力

 「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、要するに答えの出ない事態に耐える力。だが、そうまとめて済ませてしまう態度こそ、この語の意図に反するだろう。

 もともとは、英国の詩人、ジョン・キーツが1817年に書いた、〈事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力〉を指す。シェイクスピアをはじめ、物事の本質を見抜く仕事を成す人々が備える資質を、夭折(ようせつ)の詩人はそう名づけた。

 時を経て1970年、精神科の権威W・R・ビオンは、キーツの手紙に埋もれていたこの語に、新たな意義を与えて再生させる。理論をあてはめて診断してはならない、結論を急がず患者と向き合い、疑問はそのまま持ちこたえて、真の治療を施そう、精神分析医にも文学者と同じく、困難な事態に耐え続ける力が必要とされるのだ――。

 著者は精神科医になって6年目に、ビオンの論考に出合った。一時はビオンと同じ急性骨髄性白血病を患いながらも、〈命の恩人のような言葉〉に支えられて臨床医、小説家の仕事をやり遂げてきたという。満を持して今、文学、医学、両方の視点から「ネガティブ・ケイパビリティ」の真価を伝える本書を著した。

 最適な解説者が用意したさまざまな入り口から、これまでなかなか腑(ふ)に落ちてこなかった、この高度な概念の理解に近づくことができた。キーツやビオンの生涯に関しても、多くの感動的な出来事を教えられた。

 処理能力の早さばかり競う現代社会へ、著者は警鐘を鳴らす。マニュアル化で失敗を回避し、浅い理解にとどめて効率を追い求める教育法は、結局は、子どもや若者の能力を断ち切るのではないか。謎を持たせたまま興味を膨らませ、その先の発展的な理解、達成にまで導くために、出口の見えない状況に耐え続ける「寛容」の大切さも、本書は強く説く。 ◇ははきぎ・ほうせい=1947年生まれ。作家、精神科医。福岡県で開業。『逃亡』で柴田錬三郎賞ほか受賞多数。 朝日選書 1300円

読売新聞
2017年6月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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