『今夜ヴァンパイアになる前に』 L・A・ポール著

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今夜ヴァンパイアになる前に : 分析的実存哲学入門

『今夜ヴァンパイアになる前に : 分析的実存哲学入門』

著者
Paul, L. A. [著]/奥田 太郎 [訳]/薄井 尚樹 [訳]/Paul Laurie Ann [著]/ポール L.A. [著]
出版社
名古屋大学出版会
ISBN
9784815808730
価格
4,104円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『今夜ヴァンパイアになる前に』 L・A・ポール著

[レビュアー] 納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授)

分析的実存哲学に挑む

 人生の岐路に立って重要な決断をする場面がある。そこでは、私がこれからどうなるのか、何者になるのか皆目見当もつかないまま、新たな人生に飛び込む決断が迫られる。想像さえしない事態を招くかもしれない人生の不条理。そんな状況で感じる不安や迷いや新鮮なワクワク感。哲学は近年そのような実存的な問いから遠ざかってきた。だが、今ここで生きる私の問題に向き合うのが哲学である。クールに概念分析を駆使する分析哲学は、従来サルトルやカミュらの実存哲学と対立すると思われてきたが、枠組みを超えてこの問題に正面から挑む。

 本書の小説のような邦題と芸術的な装丁はやや誤解を招くかもしれない。原題「変容的な経験」は、飾り気なく本論考の問題を提示する(なぜヴァンパイアが登場するのかは本書を読んでいただきたい)。「変容」とは、私自身がまったく別のあり方へと変わってしまうことである。例えば、生来耳が聞こえない人が人工内耳の手術を行う場合。手術を受けるまで、自分がその後どういう状態になるのか、まったく想像できない。また、経験し完全に変わってしまった自分が、以前と同じ認識や評価をする保証は何もない。一人称の私が変容を通じて別種のあり方をするため、その経験が良いかどうかも客観的に判定できず、合理的な決断はできない。著者はそれを「啓示」と呼び、そういった経験に開かれた人生の可能性を淡々と論じていく。

 結婚、出産、就職、手術、移住など、私たちの人生は決断の機会に満ちている。私自身が変容してしまうことへの不安や不合理が正確に示される。他方で合理的に意思決定を行う理論モデルも様々に提示され、その有効性や限界が論じられる。私がまったく未知の経験をし、新たな私自身になって生きるとはどういうことか。そのスリリングな課題に理性的に応答する現代哲学の試みである。奥田太郎、薄井尚樹訳。

 ◇Laurie Ann Paul=米ノースカロライナ大学チャペルヒル校教授。形而上(けいじじょう)学、科学哲学などの領域で活躍。

 名古屋大学出版会 3800円

読売新聞
2017年6月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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