想像力と体験による“雑貨屋さんの社会学”

レビュー

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すべての雑貨

『すべての雑貨』

著者
三品, 輝起, 1979-
出版社
夏葉社
ISBN
9784904816233
価格
2,200円(税込)

書籍情報:openBD

名文が光る「生活と意見」 雑貨屋さんの社会学

[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)

 雑貨を売る人が発信する言葉に、これまで注目してこなかった。中年女性であるわたしの生活圏内に入ってくる雑貨情報といえば、人気スタイリストがおしゃれ雑貨満載の部屋でハーブティーを飲んでいるようなマダム向け広告ばかりだ。高価な雑貨に囲まれても「丁寧な暮らし」が実現するわけではない。

 ではなぜ雑貨の本を手に取ったかというと、この本が書店の社会学の棚にあったからだ。日々、雑貨を仕入れては売る人の「生活と意見」に初めて触れたのがこの本でよかった。著者の想像力と、その土台である過去の体験とが、さらさらと語られる。強めの言葉や断定的な意見がないわけではないが、声高な主張はない。静かで理知的なエッセイだ。

 われわれの暮らす場所や時間のなかで、雑貨は増殖をつづけている。著者はそれを、自分のキッチンにある物を列挙することで示してみせる。キーホルダー、グラス、スリッパなどはあたりまえの雑貨だ。キーホルダーにつけた現役の鍵は違うが、百年まえの鍵なら雑貨屋で売られる。カーテンや壁紙、服や靴下も雑貨屋で買える。グラスの中のジュースも、パッケージ次第ではおしゃれ雑貨扱いだ。そう考えると、マックブックや読みかけの本も、絶対に雑貨でないとは言い切れない。いつかすべての品目はひとしく雑貨になる。すでにネットの中にはそんな光景が展開されているではないか。

〈数秒まえの過去とちょっとでもちがう物を生みだし消費してもらわなくてはならない、という資本の掟、つまり飽くなき差異化〉。すべての物が雑貨化していく原因を著者はそう言う。その「ちがい」は進歩でも退化でもないのに、われわれは〈どこかへ前進しているような夢をみている〉とも。ほんとうにそうだ。雑貨世界の繁栄をこんなふうに見ることのできる雑貨屋さんがここにいる。そして彼は名文家である。収穫の多い本だった。

新潮社 週刊新潮
2017年7月6日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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