神ならぬ我々は、歴史をどう学ぶ?

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神ならぬ我々は、歴史をどう学ぶ?

[レビュアー] 小飼弾

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。それでは賢者を志す愚者たる我々は、どのように歴史を学んだら良いのだろうか。教科書で学ぶ? それで学べると思っている人は映画「この世界の片隅に」を観るべきだ。まだ生き証人が辛うじて生きている程度に新鮮な自国の歴史さえ、ろくに学べていなかったことを思い知らされるから。

 そもそも歴史(history)とは何か?「宇宙開闢(かいびゃく)から今この瞬間まで起きたこと全ての」履歴(history)とすれば学びきれないのは42が素数でないぐらい明らかだ。真の意味で歴史を学ぶにはこの宇宙が丸々収まるだけの知性が必要で、それが出来るものはもはや神。神ならぬ我々に出来るのは、せいぜいその中で興味深い出来事を無理やりまとめた物語(story)を読み漁る程度だ。

 以上を踏まえた上で現代の日本で新書を物色すれば、中公新書の「物語 N国の歴史」シリーズに必ず当たる。なんたる確信犯。新書という教科書よりも狭い紙幅では「サピエンス全史」も「ローマ人の物語」も収まりようがないが、「国家」という社会のパッケージごとに「物語」として各国の歴史をパッケージしようという試みは実に秀逸だ。玉石混淆も仕方がないと思わせるところまで含めて。最新作桜田美津夫『物語 オランダの歴史』を「玉」寄りにしているのは、著者の力量もさることながら同国が時間方向にも空間方向にも「コンパクト」だからだろう。欧州の歴史を解く端緒になれば。

新潮社 週刊新潮
2017年7月6日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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