大いなる悔悟の書

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歴史とユートピア

『歴史とユートピア』

著者
E.M.シオラン [著]/出口裕弘 [訳]
出版社
紀伊國屋書店
ジャンル
文学/外国文学、その他
ISBN
9784314000376
発売日
1967/05/10
価格
3,300円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

大いなる悔悟の書

[レビュアー] 四方田犬彦(エッセイスト、批評家、詩人)

 第一次世界大戦が始まる少し前、カルパチア山脈の小さな村にひとりの子供が生まれる。父親は東方正教会の司祭である。息子は神秘家を目指したものの、それに挫折すると無神論へと向かう。彼は洗礼名を否定する。とはいえ生涯にわたって宗教、とりわけ狂信家への関心を保ち続ける。これがシオランの来歴の始まりである。

 やがて彼はドストエフスキーとシュペングラーに夢中になり、西欧文明の没落は近いという啓示を受ける。最初に著作『絶望のきわみで』(邦訳は紀伊國屋書店)を発表したのは二二歳のとき。彼はたちどころにルーマニア語の世界で哲学者として扱われるようになるが、自国の文化の貧弱さが気になって仕方がない。一度は教職に就いたものの、生徒の前で道化を演じることに耐えられず、ただちにやめてしまう。

 一九三三年、ベルリンに滞在していた彼は、たちまちヒトラーに夢中となる。ルーマニア人とは血を水で割ったような連中だと友人に書き送り、祖国を文化強国にするにはドイツに倣って非理性的な情熱に訴え、即時に暴力的な改革を行うしかないと信じる。こうして『ルーマニアの変容』(一九三六年、邦訳は法政大学出版局)という著作が書かれた。この書物の基調をなしているのは、理想国家をいち早く樹立したいという、強いユートピア的衝動である。

 ここで運命の皮肉が生じる。書物の刊行直後、パリに給費生として赴いた彼は、祖国が枢軸に参加したことを知る。それどころか、ナチスドイツが滅亡すると、ルーマニアはソ連の衛星国として社会主義国家になってしまったのだ。もはや帰国することはできない。彼はパリでルーマニア語と訣別し、フランス語で書くことに決める。無国籍者として、いかなる職業にも、いかなる共同体にも加わらないことを宣言する。こうして極貧の生活のうちに『崩壊概論』(一九四九年、邦訳は国文社)が刊行された。

 『歴史とユートピア』はシオランにとって四冊目の、フランス語の著作である。この書物は一九六〇年に刊行されるや賞を受け、フランス語圏の読者層に彼の名前を強く印象付けることになった。シオランの著作の邦訳はこの書物をもって嚆矢とする。今からちょうど半世紀前のことで、発見者であるフランス文学者、故出口裕弘氏の炯眼に敬意を感じずにはいられない。

 ユートピア、つまり地上に理想社会を建設したいという理念は、プラトン以来、マルクス、レーニンにいたるまで、西欧社会に取り憑いて離れない願望である。シオランはこの思潮に対し、真正面から強い拒否の姿勢を見せる。カンパネルラからフーリエ、モリスまで、ルネッサンスこの方、一九世紀までに執筆された夥しいユートピア文学を渉猟した結果、彼はそこに描かれている悪の不在と嗅覚の欠如を論(あげつら)い、人間がすべてロボットと化してしまう環境に深い違和感を表明する。

 ユートピアでは闇が禁じられ、光だけが許容されている。異常者や異端者、畸形は存在を許されない。だが、われわれ人間はつねに苦悩に苛まれ、首まで悪に漬かっている。どうしてこうした管理と秩序の世界で生き永らえることができるだろう。ユートピアとは所詮、効率のよい労働が最優先される収容所に似た社会であり、「青臭い合理主義と俗化した天上憧憬との混合物」に他ならない。ユートピアの記述においてシオランが唯一認める例外とは、『ガリヴァー旅行記』でスウィフトが描いた、あの希望に満ちた国ばかりである。

 本書が最初に日本で刊行されたとき、高度成長のさなかにあって、オリンピックの後は万国博だと、楽天的な未来信仰を疑わなかった当時の日本人は、こうしたシオランの反ユートピア主義をどのように受け取ったのだろうか。怨恨、復讐、棄教、苦渋、厄難、熱狂……一般の哲学書にはけっして登場することのないこうした語彙の連続に当惑し、おそらく偏屈な屋根裏の哲学者の寝言程度にしか思わなかったのではないか。初めての英訳を書評したエドワード・サイードにしても、亡命者の言説として尊重はするが、当惑は隠せなかったようだ。

 だが、こう書きつけた瞬間、わたしは同じ問いを現在の日本人にも尋ねてみたい気持ちに襲われている。あれから半世紀の間には、実に多くの出来ごとがあった。ソ連邦がみごとに崩壊し、共産主義の理念は地に落ちた。環境汚染が進行し、福島の惨事を体験した日本では、ひところ流行した「人類の進歩と調和」という標語を無邪気に口にする者はもはやいない。シオランの主張は予言的なものとして受け止められるだろう。

 今日ではシオランの著作は、ほとんど断簡零墨にいたるまでが日本語に翻訳されている。われわれは彼が若き日に『ルーマニアの変容』において極右思想への接近を唱えていたことすら、すでに知っている。おのずから『歴史とユートピア』についても、別の読み方が可能となるだろう。久しぶりに再読をして、わたしはこの書物のなかにシオランの大いなる悔悟を感じた。これは若き日にヒトラーに倣って祖国の変革を夢見たみずからへの、自戒としての著作ではないだろうか。本書のなかにある「痙攣的嘲笑と魂の晴朗との間」という表現は、まさに彼の自己認識のありようを物語っているように思われる。

紀伊國屋書店 scripta
2017年夏号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

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