『カストロの尻』 金井美恵子著

レビュー

2
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

カストロの尻

『カストロの尻』

著者
金井 美恵子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103050056
発売日
2017/05/31
価格
2,160円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『カストロの尻』 金井美恵子著

[レビュアー] 安藤宏(国文学者・東京大教授)

活字に浸る愉悦とは

 「淫する」という言い方がある。ひたすらむさぼる、恣(ほしいまま)にする、といったニュアンスだろうか。本作は物語と映画に徹底的に「淫」してしまう、その悦楽を描いた小説だ。かつて読んだ小説の一節、映画の一シーンが次から次に頭を駆けめぐり、さらなる連想を呼びこんでいく。そもそも題名はスタンダールの名作「カストロの尼」の題名を、「カストロの尻」と勘違いしてしまう男に由来するのだが、この挿話の醸し出す、ある種ナンセンスな“いかがわしさ”は、実は本書の魅力そのものでもある。彼が場末の「金粉ショー」のダンサーに訳もなく入れ込んでしまうのと同じように、この書でもまた、物語の切片や映像はただひたすら「淫」し、消費し尽くされるべきものとしてある。そこに「意味」など必要ない。そもそも整合的な意味づけほど反文学的な行為もないのだから。

 全一一章はおのおの、ゆるやかな関連を持ちつつも、統一的なプロット(筋立て)は存在しない。前衛写真家、岡上淑子(おかのうえとしこ)のフォトコラージュが随所に差し挟まれ、そこからさらにイメージがあふれ出していく。心象風景の氾濫(はんらん)はまばゆく、きらびやかだが、反面、幼時の追憶、陋巷(ろうこう)の生活、異国情緒など、背後には古風なリリシズムが漂い、それがこの書の言いしれぬ魅力にもなっている。

 心引かれるのは「胡同(フートン)の素馨(ジャスミン)」という小説をめぐる物語。母親の遺品からボロボロになった本が見つかり、「私」は読者としてその内容に思いを馳(は)せ、そしてそれがまた物語の中の「私」の恋愛に重ね合わされる。「読む」ことと「書く」こととがいつでも入れ替わり得る至福の関係だ。序章と結章には、古今東西数十名の作家のこぼれ話が綴(つづ)られるのだが、あざといまでに“ブンガク”してみせるその筆致は、活字に「淫」する快楽が衰微しつつある今日の状況への、痛烈な異議申し立てにもなっている。

 デビューから五〇年、金井美恵子は健在だ。

 ◇かない・みえこ=1947年群馬県生まれ。『プラトン的恋愛』で泉鏡花文学賞、『タマや』で女流文学賞。

 新潮社 2000円

読売新聞
2017年7月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

  • このエントリーをはてなブックマークに追加