一枚の切符 あるハンセン病者のいのちの綴り方 崔南龍 著

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一枚の切符 あるハンセン病者のいのちの綴り方 崔南龍 著

[レビュアー] 雑賀恵子(評論家)

◆二重の烙印 引き受け闘う

 いまさら、とは誰が言い得るだろう、ハンセン病者の生に耳を傾けることを。明治期以降、近代化を進める日本政府は、ハンセン病を「国辱病」とみなして各地に施設を用意し、法律により強制的に患者の終身隔離をしてきた。汚辱をもたらすものとして社会から一掃するためだ。そして現在、壮絶な偏見と差別の果てに、結果としてその目論見(もくろみ)は達成されたかに見える。

 一九九六年のらい予防法廃止と国の謝罪を経ても、社会の居場所を根こそぎ奪われ長く過酷な生活を強いられてきた者たちが、施設を出て「社会復帰」を果たすのは容易ではない。人は、文学や映像、時折の報道で過去の出来事としてハンセン病を思い出す。だが、一つの声が空気を震わす、いまここに生きて在るのだ、と。

 彼の名は、崔南龍。一九三一年生まれ。十歳で発病、父は自死を遂げ、密告により療養所に強制収容される。十代の頃から、過ぎ去っていく日常や思いを書くことによって繋(つな)がりを、何よりも療養所の人たちと時間を共有することを求め、園の内外で表現活動を行う。園内で日本名を用いたのは、構造的差別があるからだという。

 同じく病者として社会から弾(はじ)かれながら、障害福祉年金を韓国・朝鮮人に支給しない社会を映すように、なおも人は人を差別するものか。ハンセン病者であり韓国人である二重の烙印(らくいん)を引き受けて差別と闘い続けてきたこの人の言葉は、忘却へ押し流そうとする力にしなやかに撓(たわ)み、人の痛みをも柔らかく包み込んで、生きて在るそのことでもって抵抗の意思を確固たるものとする。強制中絶された胎児の標本を前にして自分の仲間だと感じ、殺された胎児たちの代弁者なのだと書く。

 いのちに価値をつけ選別すること、排除された者たちの呻(うめ)きをかき消し忘れ去ろうとする暴力。それはいまなおいたるところにある。ならば。痛みから滴る、いのちのきらめきのこの声を聞け。
(みすず書房・2808円)

<チェ・ナムヨン> 1931年生まれ。作家。著書『猫を喰った話』(崔龍一名義)。

◆もう1冊 

 山陽新聞社編『語り継ぐハンセン病』(山陽新聞社)。邑久(おく)光明園など瀬戸内三園で隔離されたハンセン病患者の歴史と現在を問う。

中日新聞 東京新聞
2017年7月9日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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