『幻談・観画談 他三篇』
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【文庫双六】幸田露伴の釣り場 都塵を離れた中川――川本三郎
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
釣りは文人趣味。
井伏鱒二、瀧井孝作、『明治事物起原』で知られる石井研堂ら閑雅な釣りを楽しんだ文人は多い。
幸田露伴も釣り好きだった。明治三十年に、向島(現在の墨田区)に移り住んでから釣りの楽しみを覚えた。
家の近くを隅田川が流れている。東に歩けば中川。釣り心がかきたてられた。
岩波文庫に入っている『幻談・観画談 他三篇』は晩年に書かれた短篇集。うち「幻談」(昭和十三年)と「蘆声(ろせい)」(昭和三年)は釣り人を描いている。
とくに「蘆声」が絶品。
明治の末。露伴を思わせる文人の「自分」は、川に近い地(向島)に住んだので自然と釣り好きになる。
毎朝、早く起き、仕事をすますと、午後、釣りに出かけてゆく。行先は中川の立石(たていし)あたり(葛飾区)。当時は都塵を離れた田舎。
ある秋の一日、いつものように中川にたどり着く。ところが自分の釣り場に先客がいる。面白くない。
見ればまだ十一、二歳の子供。粗末な釣竿で、とても釣りに慣れているとは見えない。場所を譲ってくれと頼んでみる。
「(どうせ釣りは)根が遊びだからネ」
子供はこの言葉に反発した。「小父(おじ)さんが遊びだとって、俺が遊びだとは定(きま)ってやしない」。
やがて「自分」は知る。この子供は貧しい家の子で義母に言われ、その日の食になる魚を釣りに来ていたのだと。優雅な文人の「遊び」と違って、必死に釣りをしていた。
子供の幼ない苦労を思い、「自分」は、いつしか中川から足が遠ざかってしまう。
露伴によれば、中川は「四十九曲(まが)り」といわれるほど屈曲して流れるために「岡釣りの好適地」になっていたという。
「自分」の釣り場は「西袋(にしぶくろ)」。「奥戸(おくど)」の対岸とあるから現在の京成押上線の立石駅近くだろう。
中川は東京のなかでも語られることの少ない地味な川だが、露伴のこの名品によって記憶されている。