【文庫双六】まるで冒険小説 明治の傑作ルポ――北上次郎

レビュー

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曠野の花

『曠野の花』

著者
石光 真清 [著]
出版社
中央公論新社
ISBN
9784122005822
価格
864円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

まるで冒険小説 明治の傑作ルポ

[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)

 幸田文が生まれたのは1904年、日露戦争が勃発した年である。そこで日露戦争を描いた小説(たとえば司馬遼太郎『坂の上の雲』など)を紹介しようかと思ったが、日露戦争直前に大陸の奥地に入り込んだ軍事密偵の記録から、ルポルタージュの傑作でもある石光真清(いしみつまきよ)『曠野(こうや)の花』にしたい。

 日露戦争前に大陸に渡った軍事密偵は数多く、才神時雄は「蒙古へ潜行する志士たち」(『メドヴェージ村の日本人墓標』中公新書)で、ロシアに捕らえられ、刑場に消えた密偵たちを描いている。石光真清は当時のそういう密偵の一人で、帰国後にまとめた手記3部作は、資料的価値も高く、いま読んでも面白い。特に明治32年から37年までを描いた第2部『曠野の花』が圧巻である。ちなみに第1部が『城下の人』、第3部が『望郷の歌』だ。『誰のために』を足して、手記4部作ともいう。

 明治26年、ウラジオストックからベルリンまで冬のシベリアを横断した玉井喜作という男に興味を持ったのをきっかけに、幕末から明治にかけて海を渡った日本人に関心を抱いていた時期が、私にはある。日本ペンクラブ編『海を渡った日本人』(福武文庫)というアンソロジーを1993年に編んだのはその副産物だが、石光真清の手記はそういう記録の中でも群を抜いている。

 文士は出てくるし、馬賊は出てくるし、風俗描写も克明で、おまけに波瀾万丈、まるで冒険小説を読んでいるように面白いのだ。

 シベリア鉄道工事のために日本人がアムール川を越えた奥地にまで入り込んでいた挿話が出てくるのも興味深い。海を渡った日本人の先兵は娼婦や芸人だけではない。労働者もまた海を渡っていたのである。そうやって故郷を遠く離れたところで働いていた日本人が望郷の念を訴える場面は、特に切ない。

 石光真清の手記はこのように目撃したことを克明に記録に残しているので、貴重な資料となっている。

新潮社 週刊新潮
2017年7月27日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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