【ニューエンタメ書評】滝沢志郎『明治乙女物語』、藤井清美『明治ガールズ 富岡製糸場で青春を』ほか

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  • 義経号、北溟を疾る
  • 球道恋々
  • 泣き虫弱虫諸葛孔明 第伍部

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)

毎日毎日暑い日が続きますね。
休日は無理に外に出るよりも、涼しい場所で読書でもいかがでしょうか?
今回は明治時代を舞台にした小説を中心に7作品をご紹介します。

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 なぜか最近、明治時代を扱ったエンターテインメント・ノベルが、立て続けに刊行されている。しかも、どの作品も面白い。そこで今回は、明治物中心でいこう。まずは、第二十四回松本清張賞を受賞した、滝沢志郎の『明治乙女物語』(文藝春秋)だ。
 明治二十一年。東京は御茶ノ水にある高等師範学校の講堂で、舞踏会が行われていた。高等師範学校女子部、通称「女高師」の生徒である、野原咲と駒井夏も、これに参加する。文武両道の麗人だが、何かあると野球バットを振り回す咲。不愛想だが口うるさい夏。まったく性格の違うふたりだが、仲はよい方だ。しかし舞踏会で爆破騒ぎが起き、さらに女性教育を批判するような犯人の声明文が新聞に掲載されたことで、彼女たちの日常は波立つ。不審な言動を見せる、混血児の人力車夫・久蔵のエピソードを挟んで、犯人が標的としているらしい鹿鳴館の舞踏会へと、ストーリーは進展。初代文部大臣で、女性の権利拡張論者である森有礼の命を受けた咲や夏たちは、舞踏会に参加することになるのだった。
 本書は、女高師で学ぶ女性たちの生き方を、ミステリーの趣向を絡めて活写した物語といえるだろう。コナン・ドイルの『緋色の研究』を原書で読んでいた咲が、シャーロック・ホームズの手法を参考にしながら爆破現場の調査をする場面など、なかなか面白い。だが作者が真に書きたかったテーマは、女性を抑圧する時代の中で自らの人生を切り拓いていこうとする、咲と夏の強い意志だ。思いもかけぬ事件にかかわったふたりは、さまざまな体験を経て、自分の道を確固たるものにしていくのである。
 これに関連して注目したいのが、森有礼の描き方だ。本書には、伊藤博文・山川二葉・大山捨松・唐人お吉など、実在人物が多数登場するが、その中でもっとも重要な役割を担っているのが有礼なのである。とはいえ、ネタバレになってしまうので、詳しく触れるわけにはいかない。有礼の理想とする良妻賢母像が明らかになったときは、衝撃を受けたとだけいっておこう。もちろん新人のデビュー作なので、注文を付けたいところはあるが、これだけ書ければ充分だ。今後の作者の飛躍が楽しみである。
 女学生の次は、工女である。人気脚本家の藤井清美が、『明治ガールズ 富岡製糸場で青春を』(KADOKAWA)で、作家デビューを果たした。明治五年に群馬県富岡市に造られた、官営製糸工場「富岡製糸場」の工女を主人公にした青春小説だ。
 信州松代藩の武士の家に生まれた横田英は、いきなりの縁談に困惑していた。横田家の使用人の林幸次郎に対して、密かな恋心を抱いていたからである。一方、英の父親で区長をしている数馬は、根も葉もない噂が原因で、富岡製糸場に派遣する工女を確保することができないでいた。これを知った英は、縁談を先延ばしにするために工女になることを決意。彼女の行動が呼び水になり、人数が集まった。十六人のメンバーは、松代藩家老の娘だった河原鶴や、縁談相手の姉の和田初など多士済々。いつの間にかリーダーと目された英は、富岡製糸場で、青春の日々を過ごすのだった。
 昨今のライト文芸らしいカバーイラストを見て、明るい青春物語を予想する人がいるかもしれない。だが、本書の青春は苦い。仲間たちとの不協和音。長州から来た工女たちとの確執。仕事の焦り。幸次郎への揺れる思い……。楽しいことや嬉しいこともあるが、現実の苦さに耐えることのほうが多い。その苦しみを糧に英は、少しずつ成長していくのだ。また、いろいろなものを背負った、他のメンバーの描き方も優れていた。
 そしてラストで作者は英に、非常に厳しい人生の選択を突きつける。主人公が、何を選んだかは、読者自身で確認してもらいたい。この物語に相応しい結末だと、納得できるはずだ。
 辻真先の『義経号、北溟を疾る』(徳間文庫)は、明治十三年の北海道が舞台。明治天皇のお召し列車を妨害しようとする企てに、異色のコンビが挑むのだ。そのコンビとは、藤田五郎と法印大五郎である。
 警視庁に勤務する藤田五郎が、元新撰組三番隊長・斎藤一であることは、今ではよく知られている。明治時代を扱ったエンターテインメント作品で、よく登場するからだ(実は『明治ガールズ 富岡製糸場で青春を』でも活躍している)。だから本書に藤田五郎が出てきても、それほど驚きはない。しかし、法印大五郎が相棒になるとは思わなかった。侠客・清水の次郎長の子分で、幾つもの逸話のある大五郎。山伏姿で子供好きな彼は陽性のキャラクターとして、陰のある五郎とよきコンビぶりを発揮するのである。その他にも、武術の達人の少女や、狼に育てられた少女など、魅力的な登場人物が続出。北海道大開拓使の黒田清隆が犯人と疑われている殺人事件を追い、ついにはお召し列車の陰謀に行き着く五郎と大五郎の捜査を彩るのである。
 さらに、諸般の事情により、日本初の夜間運行となったお召し列車を襲撃する一味と、それを阻止しようとする五郎たちとの攻防。凄絶なチャンバラをしながらの謎解きと、読みどころは盛りだくさんだ。八十五歳の作者が執筆したとは思えない、パワフルな内容に脱帽である。
 木内昇の『球道恋々』(新潮社)は、明治のベースボールを題材に、平凡な男の豊かな人生を描いた快作だ。物語は、明治三十九年から始まる。小さな業界紙「全日本文具新聞」の編輯長をしている宮本銀平は、母校である一高の野球部のコーチを頼まれた。かつての野球部黄金時代の部員だが、万年補欠だった銀平。また、父親の病気により進学を断念し、家業の表具屋を継ごうとしたものの、不器用ゆえに断念した過去がある。先細りする仕事や、表具屋を継いだ義弟のいい加減な性格に不安を抱いているが、妻とふたりの幼い娘を抱えた生活は平々凡々なものだ。
 でも、銀平の心には、まだ燻るものがあった。押し切られるようにコーチを引き受け、悪戦苦闘しながら個性的な部員を指導していくうちに、野球熱を再燃させていく。さらに人気作家の押川春浪と知り合い、彼の野球チームにも所属する。部員の指導や、私生活での騒動に奔走しながら、野球に夢中になる銀平。そんなとき朝日新聞が〝野球害毒論〟のキャンペーンを張った。激怒した春浪たちと共に、銀平も立ち上がるのだった。
 主人公の宮本銀平は、どこにでもいるような中年男である。人生はままならないものだと思っており、野球部の指導にも迷っている。だが、野球にのめり込んだ彼は、日々を楽しんでいた。幾つになっても夢中になれるものがあれば、人の生は充実するということが、銀平の姿から伝わってくるのだ。
 さらに、『海底軍艦』等の作品でミステリーやSFファンにはお馴染みの押川春浪や、彼が深くかかわった野球害毒論を巡る騒動など、実在の人物と史実が巧みに使われている。ここも本書の読みどころであろう。
 さて、明治物ばかり取り上げるのも何なので、他の作品にも目を向けたい。酒見賢一の『泣き虫弱虫諸葛孔明 第伍部』(文藝春秋)は、長年にわたり書き継がれてきた酒見版「三国志」の完結篇だ。劉備や曹操はすでに亡く、南征北伐の果てに諸葛孔明が陣中で没するまでが綴られている。
 本書の特徴は、物語の語り口にある。まるで講釈師のように作者が「三国志」を語るというスタイルが、前面に押し出されているのだ。これにより内容が、現代語からパロディまで、何でもありの無法地帯になっている。ストーリーだけみれば、オーソドックスな中国歴史小説だ。しかし、「馬玄よ、考えるな。感じるのだ」と孔明がブルース・リーのようなセリフを吐いたり、司馬懿が「退けい! 退くのだ! 孔明の罠だ」と、横山光輝の漫画『三国志』を出典とし、今やネットスラングとなった〝孔明の罠だ〟を叫んだりとやりたい放題。随所でニヤニヤゲラゲラと、笑ってしまうのだ。
 しかも、本書の冒頭は第四部までの粗筋になっているのだが、なぜか魏・呉・蜀の関係が、三つのラーメン・チェーン店の勢力争いで表現されている。自由奔放な筆致で、諸葛孔明の一生と、「三国志」の世界を描き切った、異色の傑作なのだ。
 トネ・コーケンの『スーパーカブ』(角川スニーカー文庫)は、スーパーカブを手に入れたことで、自分の世界を広げていく少女を見つめた青春小説である。主人公の小熊は、高校二年生の女の子。父親は幼い頃に事故で死に、母親は彼女が高校生になると失踪した。天涯孤独な小熊は、山梨県北杜市にあるアパートで、倹しいひとり暮らしをしている。ところがある日、一台のスーパーカブと出会ったことで、彼女の日常は変わっていく。なりゆきでカブを買い、行動半径が広がっていく。カブを使ったバイトで、世の中のことも少し知った。カブに乗っている同級生の礼子という友達もできた。なにも持っていないと思っていた少女の静かな変化を、作者は短い章を積み重ねながら、物語の中に屹立させていくのである。ライトノベルとして出版されたが、年齢に関係なく、ひとりでも多くの人に読んでもらいたい良作だ。
 最後は、東秀紀の『アガサ・クリスティーの大英帝国 名作ミステリと「観光」の時代』(筑摩書房)にしよう。著者は、都市計画史と観光史の専門家であり、その知識を生かした時代小説も発表している。しかし本書は、クリスティー作品を通じて、観光を考察し、二十世紀の大英帝国の変容を解説した評論だ。ポーの「モルグ街の殺人」と、近代観光業の始まりが同じ年だなど、刺激的な指摘の数々に、目から鱗が落ちまくった。クリスティー・ファンは、要チェックである。

角川春樹事務所 ランティエ
2017年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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