地名に宿る呪性やことばの重みを知る/伊東ひとみ『地名の謎を解く 隠された「日本の古層」』

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地名の謎を解く : 隠された「日本の古層」

『地名の謎を解く : 隠された「日本の古層」』

著者
伊東, ひとみ
出版社
新潮社
ISBN
9784106038129
価格
1,430円(税込)

書籍情報:openBD

地名に宿る呪性やことばの重みを知る

[レビュアー] 三浦佑之(立正大教授)

 わたしの出身地は奈良県に接した三重県の山間部で、生れた時は三重県一志(いちし)郡多気(たげ)村だったが、昭和の大合併で一志郡美杉村となり、平成の大合併でとうとう海までは数十キロも離れているのに津市美杉町になり、おまけに一志という古代以来の郡名が消滅した(古代の表記は壱志・壱師)。ところが一方、村名(町名)の下に位置する丹生俣(にゅうのまた)という字(あざ)名は昔から変わっていない。文献で遡れるのは近世初頭だが、かなり古い地名だと思う。

 おそらくどこも、太古の昔から続く地名とつい最近名付けられた地名が混在し、そこに古そうにみえる新作地名も紛れ込む。たとえば、神話に出ているので由緒正しい伝承地名だと思ってしまうが、「愛媛」県や「比婆(ひば)」郡(広島県)は明治に、「笠沙(かささ)」村(鹿児島県、現・南さつま市笠沙町)は大正に、「橿原(かしはら)」市(奈良県)は昭和に、古事記や日本書紀の神話に出てくる地名を借りて新しく作られた「行政地名」であり、その土地で元から使われていた地名ではなかった。

 律令国家と明治政府は似ていると前から感じていたのだが、本書を読んでそれを確信した。この二つの支配体制が他の時代と違うのは、天皇を頂点に置いた中央集権国家を樹立しようとしたところだが、それを象徴するのが地名への介入だった。それに対して他の時代はどこか緩やかで、それぞれの地域の土俗性や独自性に介入しない(できない)が、律令国家と近代国家は中央への恭順と順化を徹底的に強制した。そのために、律令国家はすべての地名を好ましい漢字を用いた二字地名に統一したのだし、近代国家はことあるごとに行政区画の改編(合併)にともなう地名の改名を促していった。名付けという行為が所有を意味すると考えれば、国家が集権化の一環として地名に介入するのは当然だ。

 伊東ひとみさんは、こんなふうに硬直した物言いをしているわけではない。「日本国」など誕生するずっと前、人がこの列島に住みはじめるとともに現れることになった地名はいかなる意味を持ち、名付けとはどういうことかについて、たいそうわかりやすく興味深く論じている、それが本書である。そのなかで、「人と大地をつなぐ臍の緒」とも言うべき地名が、近代になってとんでもない地名に変えられてしまうことを憂慮し、それぞれの地名が潜める情報の豊かさを指摘する。

 平成の大合併における暴挙ともいえる改名騒ぎは今も記憶に新しく、それゆえに著者のことばには重みがある。ただし、カタカナやひらがなの地名、合併した土地の頭文字を並べただけの地名、さくら市・みどり市など土地の固有性を放棄した地名、誇大表示にみえる地名などを批判しからかう本なら、今までに何冊も出ている。

 本書がそれら類書と袂を分かつのは、「専門家の研究を踏まえた科学的なアプローチを重視」し、「地名世界を横断的かつ重層的に捉えて、自分自身の深みにおいて解釈」(序章)しようとする態度に貫かれている点である。しかも、それが巧みな構成によってわかりやすく論じられているのが好ましい。事典的に独立した「付録」が巻末に置かれているのも親切で楽しめる。

 第一章で「雑学的なうんちく話」を含めつつ平成の大合併にともなう地名改変を紹介することで読者の興味を惹きつけると、第二章では明治政府のめざした「階層構造」をもった行政区画(これは、中央集権国家をめざした律令国家の出現時にも求められた)について説明し、近世以前の、「土地固有の神様と人との交感」する自然村から近代的な行政村への移行を説くことで、一気に本書の主題へと突入する。そして、第三章以降では、地名がいかに人びとの考え方や生活と緊密につながっていたかということが述べられ、地名のもつ複層性が論じられてゆく。

 たかだか七世紀後半までしか遡らない「日本国」誕生のはるか以前から日本列島には人が住み、それとともに土地には名付けが行われ、人と神が共存する。そのなかで著者は、弥生時代から縄文時代へと遡って地名を考えようとし、縄文人と縄文語が生きた列島へと思いを馳せる。考古学も歴史学も遺伝子研究も、そして信仰や心性にも自在に行き来しながら、地名に込められた呪性やことばの重みをとらえようとする。もちろん、漢字で表記された地名と、文字以前の音声による地名とについても言及を忘れてはいない。

 あらゆる角度から地名に焦点を当てた本書を読み、わたしたちの過去と未来を考える上で、地名研究がいかに重要で豊かな可能性を秘めているか、改めて思い知らされた。

新潮社 波
2017年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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