『非常出口の音楽』
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祝福の掌編集
[レビュアー] 瀧井朝世(ライター)
古川日出男といえば、現代語訳した『平家物語』をはじめメガノベル、つまり大長編を手掛ける作家だという印象も強いが、2004年に刊行した『gift』は“珠玉の”という言葉がぴったりの、愛らしく尊い作品の詰まった掌編集だった。それから13年、新たなショートストーリー集が誕生した。新作『非常出口の音楽』である。
力強さと愛らしさは健在である。たとえば「とてもとても安全ブーツ」は、仕事の関係でアメリカの西海岸に長期滞在することになった男が、不安に駆られて占い師に助言を求めたところ「足もとに気をつけなさい」と言われ、築地で漁師用の長靴を購入する。なぜ占い師に? なぜ長靴? という違和感を抱かせながらも、その、本人にしか分からない、生き延びようとする本能による衝動みたいなものに、ぐっと来ている自分がいる(たった3ページの話なのに!)。「機内灯が消えた」は飛行中の機内で隣の座席の母子に疑問をおぼえた〈僕〉の話。そんな狭い空間を舞台にしていても、そこに大人も子どもも(人間以外のものも)等しく存在させている奇跡がある。どの掌編も、日常の延長線上で不可思議な出来事に遭遇した人々が、それでもちゃんと自分を信じて生きている。その健気さとたくましさに、毎度、心を鷲掴みにされてしまうのだ。
たとえば「サマーレイン」のステップを踏む4歳の女の子には、著者の長編『サウンドトラック』に登場する、舞踏で世界に対峙するヒツジコという少女の姿が重なるように、過去作品のエッセンスが感じられるのも嬉しい。帯に〈わたしたちに訪れるちいさな祝福の瞬間〉とあるが、読者にとってこの本をめくるひとときこそが、祝福の瞬間である。