人々の営みが新時代を準備する

レビュー

3
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「維新革命」への道

『「維新革命」への道』

著者
苅部 直 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784106038037
発売日
2017/05/26
価格
1,404円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

人々の営みが新時代を準備する

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 一九四五年の「八月革命」をもって二十世紀日本を切り分けるのは余りに人為的すぎる。同じように、一八六八年の「明治維新」をもって十九世紀日本を両断すると見えなくなることが余りにも多すぎる。『「維新革命」への道』の著者・苅部直は、この両断された日本を、本書の副題である「「文明」を求めた十九世紀日本」として、繊細な手つきで復元した。人々の営みが、驚きが、経済活動が、知的好奇心が徐々に新しい時代を準備していく過程を、諸藩を超える「知のネットワーク」の成熟に見ていくのだ。

 渡辺京二『逝きし世の面影』、山本七平『江戸時代の先覚者たち』、森銑三『おらんだ正月』などで描かれた江戸時代の庶民、エコノミスト、科学者たちの群像を、あらためて歴史的コンテキストの中に蘇生させたかのような、時代の息吹きが伝わってくる本である。

 この時代を考えるために本書では、福澤諭吉が頻繁に引用される。それは当然として、続いて福澤の教え子で、後に政治家になる竹越與三郎の通史『新日本史』(十年ほど前に岩波文庫に入った)が紹介される。竹越は明治維新を「乱世的革命(アナルキカルレボリウーション)」と見た。「乱世的」とは、政権交代は特定の人々によったのではなく、長い年月をかけて変化してきた時代の大きな趨勢だったと見る史観である。

 竹越の『新日本史』は、丸山眞男の名著『日本政治思想史研究』にも引用され、丸山が昭和四十三年(東大紛争の年)の東大法学部での演習にテキストとして取り上げた本である。前年の演習は「第一級の思想家の“古典”」(丸山メモ)である福澤の『文明論之概略』だった。『新日本史』はそれには及ばないが、「日本近代史の“古典”とはいえるかもしれない」と丸山は評価している。

 なぜこんなトリビアなことに言及したかというと、著者の苅部は、丸山眞男から始まった東大法学部の「日本政治思想史」の現在の教授であり、岩波新書の『丸山眞男』の著者でもあるからだ。丸山および東大法学部の知的風土がいかに更新されているかを読むのも、本書を愉しむ重大なポイントであろう。ちなみに、一九四五年の「八月革命」論は、東京帝大法学部教授の宮沢俊義が敗戦直後に、復員兵だった丸山助教授の協力で構築した戦後日本の強固なる「定義」である。

 苅部の『丸山眞男』では、庄司薫の芥川賞受賞作『赤頭巾ちゃん気をつけて』からの引用があざやかだった。庄司は東大法学部時代に丸山の演習に出た教え子である。「薫クン」は丸山をモデルにした大学紛争で疲れてしまった教授との会話から、「知性というものは、ただ自分だけではなく他の人たちも自由にのびやかに豊かにするものだ」というメッセージを受けとるのだった。

『「維新革命」への道』でのもっとも自由であざやかな不意打ちは、吉田健一の突然の登場である。『ヨオロツパの世紀末』の著者であり、英語育ち、英国仕込みの日本人である吉田が、よりによって「国学者」本居宣長の現代語訳を手がけていた。宣長の原文と吉田の訳文を並べて、苅部は訳文が吉田自身の「息が長く、うねるような」あの独特な文章の調子に近いことを指摘する。「和文の語り口のなかに論理的な思考を組みこむ」吉田の文章は宣長の影響を受けていたのではないか。苅部の考察はそこから、吉田が賛美した十八世紀ヨオロッパの「文明」と共通する「近代」の輝きは、江戸時代にもあったという吉田の指摘にたどりつく。

「もちろん、吉田も『ヨオロツパの世紀末』で指摘しているように、やがて明治時代に日本が受容したのは、十八世紀の繊細で優雅な「文明」ではなく、同時代である十九世紀のヨーロッパの文物である。その意味では、西洋の「文明」の受容に至る前史を徳川時代の思想史にたどろうとする本書とは、視点が大きく異なっているとは言えるだろう。だが、吉田が「江戸時代」に断片的に見いだした「優雅」や「礼節」や「自由」は、本居宣長の思想にも存在していたのではないか」

 吉田が現代語訳した『秘本玉くしげ』は、宣長の政策提言書だった。経済が進展し、奢侈が横行する時代への宣長の処方箋である。宣長は倹約令を発し、違反者を取り締まるという政策をとらない。「時世の勢」からして贅沢の敵視は無理だと考えるからだ。むしろ大名自身が華美を自制し手本を示せば、家来以下もそれに倣うはずだ。「宣長に言わせれば、それこそが「下々の民」の思いをよく理解し、民情によりそった統治の方法なのであった」。「時世の勢」を勘定に入れながら政策を案出する。「社会が全体として「勢」という生命力をもち、それが一つの方向にそって発展しつつある」という視点に、宣長は立っていた。

 わずかな例しか示せなかったが、本書の論点は多岐にわたっている。「文明」「開化」「維新」「革命」「自由」といった基本的な語彙の再検討から、経済発展、自然科学の知識の流入、新たな歴史観の出現まで。為政者や革命家の固有名詞をほとんど出さずに、歴史は語られる。その意味では主役のいない歴史劇である。代わって主役となるのは、「文明」(英語でいうと、大文字で始まる単数形のCivilization)という言葉に集約される人間への信頼である。進歩主義とは違う「進歩」、上からではない「啓蒙」、普遍的な価値観や倫理観への信頼がある。その一方で、「「文明」のための戦争という美名が日清戦争を正当化した歴史や、「文明」による裁きを自称した極東国際軍事裁判(東京裁判)の偽善ぶり」には手厳しい。しなやかさと剛さを併せ持った本である。

新潮社 新潮45
2017年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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