「抱く」夢ではなく寝て見る夢を探る

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夢の日本史

『夢の日本史』

著者
酒井, 紀美, 1947-
出版社
勉誠出版
ISBN
9784585221777
価格
3,080円(税込)

書籍情報:openBD

「抱く」夢ではなく寝て見る夢を探る

[レビュアー] 山村杳樹(ライター)

 猛威を振るう疫病が流行すると、古代の天皇は、「神牀(かむどこ)」に籠もり「夢の告げ」を得ることで危機を脱した。これは王だけに可能な特権的な能力で、王の「夢見る力」は古代王権の重要な要素だった。 本書では、古代から近代にわたる様々な文書や記録や物語や絵画などに記された夢の記事を手がかりにして、「夢語りの社会性」の変容が考察されている。著者は日本中世史が専門の歴史家。

 北条政子は若い頃、妹が見た、月と太陽を左右の袂におさめる夢を買い取った結果、鎌倉幕府の創始者・源頼朝の妻になることが出来た。この時代、夢は買い取れたのだ。また、人が見た夢も、その夢を「つゆもたがはず」語ることが出来れば自分のものになった。夢は交換可能でもあった。

 京都・栂尾高山寺の開祖、明恵は若い頃、幾重にも重なる高い塔を昇る夢を見た。最上層に手を懸けようとしたとたん目が覚めてしまうが、二十日余り後に同じ夢を見て、遂に塔の頂上に立つことが出来た。見回すと、十方世界が眼前に広がり、日も月も星々も遙か足の下にあった……。明恵は、自分が見た多くの夢を「夢記」として書き留めていたが、この夢は、その雄大さで印象的だ。

 中世には、一族郎党が見た夢を語り合い、一族の繁栄を祈る「夢語り共同体」が存在した。そして、神仏が夢で告げた発句に応えて興行する「夢想連歌」が大流行する。関ヶ原の戦いの功労で筑前を与えられた黒田如水は、夢で見た「松むめや末なかかれとみとりたつ」に「山よりつつくさとはふく岡」と付けたが、これは「福岡」の地名が最初に記された史料といわれている。

 新井白石の夢も興味深い。白石は日記に、夢で見た詩句や字を丹念に記しているが、宝永元年(一七〇四)正月に突然、夢龍が姿を現す。以後、七年にわたり「金色の龍」「黄龍」「蒼龍」「雲龍」「大赤龍」といった色彩豊かな龍が現れた。この時期は、白石の主君が、六代将軍・家宣として就任した時期に重なっている。

 著者は、室町末・戦国時代から江戸初期にかけての二〇〇年あまりの間に、夢に対する認識が大きく変化したという。

夢は神仏から贈られる聖性を失い、世俗の垢にまみれたものへと変わっていった。また、現代では、夢は専ら「将来への望みや志」という意味で使われるが、この語法は、二十世紀になって初めて使われるようになったとも指摘する。

 夢は外部から到来するのではなく、内部からやってくるものとして認識されるようになる。夢は睡眠時に「見る」ものではなく、覚醒時に「持つ」もの、「抱く」ものになったのだ。

 本書は、日本における古代から中世にかけての「夢の歴史の層」の豊饒さを、興味深い史料をもとに教えてくれる。

新潮社 新潮45
2017年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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