ビルマで起きた日本人少尉殺人――炙り出される“いくさ”の意味

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いくさの底

『いくさの底』

著者
古処 誠二 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041061756
発売日
2017/08/08
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

徹底した資料検証から戦争というドラマを描く

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 戦場を読者の眼前に再現する。

 その作業に古処誠二は取り組んできた。追随する者はほとんどなく、孤独な作業と言ってよい。対象となるのは旧日本軍が足を踏み入れた地域すべてである。そこで日本人が見たもの、あるいは人々が日本軍によって見させられたもの、旧秩序が戦火によって喪われた後に現れたもの、つまり戦争の産物のすべてを、古処は書き尽くそうとしている。戦争が起きたために生じた事件を、資料を集めることによって再構成し、ドラマの形で描き出す。観念のみで過去の戦争の是非を問うような姿勢は、古処の対極にあるものだ。

 新作『いくさの底』は、ビルマ北部シャン州ヤムオイ村を舞台とする長篇小説である。村に賀川少尉率いる警備隊がやって来る。この地域には日本軍による占領作戦完了(戡定(かんてい))直後から重慶軍の侵入が報告されるのだという。村に隠し撮り用のカメラを預けるなど、監視態勢を強化することが隊の目的だった。

 賀川は以前にもヤムオイに駐屯したことがあり、再会した村長も恭順の態度を見せていた。村長だけではなく、オーマサ、コマサとあだなをつけられた助役たちも協力的である。にもかかわらず、初日の夜に事件は起きる。賀川が鉈(なた)で首を切られ、殺害されたのだ。民間人ながら通訳として隊に同行する依井は、その捜査に立ち会うことになる。

 物語が進むうちに村民たちの真意が明らかになっていき、ビルマにおいて日本軍が置かれている立場も可視化されてくる。小説の大半は、依井が立ち会いながら進む取調べの模様が綴られるのみなのだが、それでも自ずと状況は見えてくる。古処のデビュー作『UNKNOWN』(講談社ノベルス)は自衛隊レーダー基地を閉鎖空間に見立てた不可能犯罪小説だった。つまりミステリーを書く才能も有しているのだが、本書は正統派犯人当て小説として読むこともできる。果たして殺害犯は外部からやって来た重慶軍のスパイなのか。それとも村の内部にいるのか。

 読者を真相へ導く終盤の展開には圧巻の迫力がある。本書が舞台を戦地にしたからこそ書かれた、そして旧日本軍による占領地域でなければ書かれるはずがなかった小説だということが、謎解きの結果、判明するからだ。先の戦争が持つ意味がそうした形で炙りだされる。戦争という異常事態によって翻弄された者がいかなる運命を背負うことになるか。作者は多くを語らず、ただ結末を読者に指し示すのみなのである。

新潮社 週刊新潮
2017年8月31日秋風月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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