『塔と重力』
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現代社会で勝ち残るために何を捨ててしまったのか?
[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)
登場するのは二つの場所と時間だ。一つ目が阪神・淡路大震災直前の神戸、もう一つが現在の東京である。主人公の田辺は予備校生で、初体験の相手になってくれそうな美希子と古いホテルに泊まっていた。そこを大地震が襲いビルが倒壊、二人は生き埋めになる。田辺は助かるものの、足を挟まれ激痛に耐える二日間を過ごし、その後もフラッシュバックに悩まされる。そしてそのまま息を引き取った美希子のことを生涯思い出し続けるのだ。
フェイスブックでの十五年ぶりの再会を機に、友人の水上は美希子アサインという遊びを始める。失われた美希子との邂逅を求めて、数十人の女性たちとひたすら合コンをするのだ。ルールは彼女たちを美希子とだけ呼ぶこと。初めは軽い気持ちで参加していた田辺も、もし生き残っていたらそうだったかもしれない、もう一人の美希子について考え始める。そして三ヶ月前に田辺と別れたはずの葵が美希子として現れたとき、物語は大きく転換するのだ。「今の葵には、どこかオリジナルの美希子を彷彿とさせるところがある」。ならばこれもまた美希子との再会なのか。
入社したITベンチャーの株式公開に伴い大金を手にする田辺は資本主義の勝者だ。しかし、ときどき原因不明の涙が流れ出して止まらなくなる。弁護士として成功している水上も、執拗な吐き気に悩まされ、生の喜びを感じられない。生涯、最も効率的かつ的確に社会の要求に応えてきた彼らの中で、身体が抗議している。「美希子」とは、不器用さや恐れ、ためらいなど、現代社会で勝ち残るために二人が捨ててきたもの全ての別名だろう。
だが美希子は死んではいない。むしろ捨てるに捨てられない自らの身体として二人に取り憑いているのだ。果たして彼らは世界を上から見る「神ポジション」から降りて、卑小な自分自身と和解できるのだろうか。時に軽口のような文体で書かれた本書の問いは鋭く重い。