【聞きたい。】片山和之さん 『対中外交の蹉跌 上海と日本人外交官』

インタビュー

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【聞きたい。】片山和之さん 『対中外交の蹉跌 上海と日本人外交官』

[文] 産経新聞社


片山和之さん

 ■上海総領事による異色の考察

 戦前、日本の外交官はなぜ対中外交で軍部に翻弄され、取り返しのつかぬ事態を招いてしまったのか。その「蹉跌(さてつ)」の教訓から、現代人は何を学ぶべきか。

 現役の上海総領事である片山和之氏が「上海」の視座から対中外交の近代史を考察した異色の一冊だ。

 ただ、片山氏は「必ずしも軍部が悪玉で外務省が善玉だ、との構図は当てはまらない」と考えている。

 「昭和12(1937)年に朝日新聞記者の黒田礼二が『文芸春秋』誌上に書いた『支那膺懲(ようちょう)論(中国を懲らしめよ)』に代表された対中強硬世論があり、中国への『あなどり』や『おごり』が外務省、軍部、国民にもあった」とみる。結局は、「泥沼化を防ぎえなかった点で、外務省と軍部にそれほど違いがあったようにはみえない」という。

 一方、軍に異を唱えることが難しい空気が外交官をも包み、中国での情報収集力でも軍部に大きく差をつけられた。「満州事変(昭和6年)から対中外交の実権が軍部に移っていた」ことは、悩ましい史実だ。

 片山氏はしかし、本質的な問題として、「中国の歴史の流れの方向性を見誤って、『協調』ではなく『対決』の道を選択してしまった結果、中国をめぐって米国と決定的に対立したことが、日本外交にとって致命的だった」と指摘した。

 もちろん「協調」だけが道ではない。評論家の江藤淳氏の言葉をひいて、「日本の“中国通”には、中国が“他者”(似て非なる相手)という認識が欠けていた」と書いた。顔かたちや皮膚の色も近く、中国文化を色濃く受けた日本からみて、一方的に理想や正義を中国に投影し、期待した反応が得られないと今度は幻滅と失望を感じ、最後はエスカレートする性癖だ。

 このことは現代日本の対中姿勢にもあてはまる。片山氏は、「情緒的な関係から、相互互恵の戦略的関係を構築していくべき時代になった」と論じている。(日本僑報社・3600円+税)

 上海 河崎真澄

   ◇

【プロフィル】片山和之

 かたやま・かずゆき 昭和35年広島県生まれ。京大法卒、58年外務省。中国大使館公使、デトロイト総領事など歴任。平成27年から在上海日本国総領事。

産経新聞
2017年9月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

産経新聞社

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