息子が殺人犯に――「コロンバイン高校銃乱射事件」加害生徒の母の告白

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息子が殺人犯になった

『息子が殺人犯になった』

著者
スー・クレボルド [著]/仁木 めぐみ [訳]
出版社
亜紀書房
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784750514468
発売日
2017/06/27
価格
2,530円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

最大級の恐怖を体験した母が辿りついた究極の答え

[レビュアー] 大竹昭子(作家)

 なにが恐ろしいといって、自分の産んだ子供が人殺しをするほど恐いことはないだろう。その最大級の恐怖を実際に体験した母親の手記だ。

 一九九九年、アメリカの男子高校生ふたりが学内で銃を乱射し、十三人を殺し、二十四人に重軽傷を負わせ、自殺した。「コロンバイン高校銃乱射事件」として知られるこの事件で、実行犯の生徒のひとり、ディラン・クレボルドの母親が、何を見逃したのか知りたい一心で十六年を経て筆をとる。開いたら最後、四百頁の厚さは問題にならない。

 ディランはごくふつうの家庭で愛情を注がれて育った、心優しい少年だった。そんな子がなぜこんなに残虐なことを、という母親と同じ疑問に読者が引込まれる第一部の最後、警察の押収品を見せられるところで、大きな転換が訪れる。

 ふたりの犯行計画は長い時間をかけて周到に練られていた。銃乱射どころか、手製爆弾を仕掛けて学校全体の爆破を目論んでおり、幸いそれが不発に終わってこの程度の被害で済んだのだ。

 また、発見された何本ものビデオテープには、学校や周りの人間に忌まわしい言葉を投げつけ、怒りを駆り立てるふたりの姿が写っていた。怒りこそが発火点だったのである。

 だが、怒りを抱くことと犯行に及ぶことの間には大きな川がある。なぜふたりはその川を渡ってしまったのか。そう問うても答えは永遠にでない。問えるのは、それがどのようにして起きたかということだけだという著者の考えにうなずく。複数の理由が絡み合い、一種の化学変化が起きて実行に踏み出されたのだ。

「子どもに一見、問題がないようでも、本当はそうではない可能性があることを知っていればよかった」という発言が重く響く。この「子ども」を「人」に拡げてもいいだろう。目で確認できる言動から人間の内面もわかる、という考えそのものを疑ってみるべきなのだ。

新潮社 週刊新潮
2017年9月7日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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