『釜ヶ崎』
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街と人の表情を捉えた写真集 ディープタウンの光と影
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
一九九〇年代のいつごろか、繁華街の人波を眺めながら、日本人の顔が変わったなと思ったことがある。八〇年代には一気に小ぎれいになった日本人だが、九〇年代の変化はもっと本質的なものに思えた。顔にその人の歴史が感じられない。出自や来歴を洗い流したのっぺらぼうが、生まれたてのような表情で群れている。不気味だと思った。
それ以来、映画や写真を見るときには「日本人の顔」を探しているし、失われた日本人の顔は、汚い路地裏の酒場やバクチ場や、日雇い労働者の寄せ場にはまだちゃんと残っていることも知った。不思議ななつかしさと安心感をおぼえる場所だ。
この写真集は、東の山谷と並ぶ大きな寄せ場、西の釜ヶ崎で撮影された。倉庫らしきコンクリートの床で蒲団にくるまり眠る男たち。道端でカップ酒を飲むおじさん。一斗缶のたき火に手をかざすおじいさん。くりからもんもん、変色し変形した手の爪、腹の手術痕。その日暮らしは装飾を剥ぎとり、その人のぎりぎり最小限のもちものだけを残す。肉体にはその日までの煩悶や苦痛が刻まれる。写真家の視線には同情も軽蔑もなく、告発もあきらめもない。当たり前の人間を当たり前に見ているので、風通しがいい。
住居も家族もない根無し草のような暮らしは、じつはものすごくお金がかかる。毎日あらゆるタイミングでお金を払う必要に迫られるのだ。三日間一度も財布を開かないこともあるわたしのような暮らしは、寄せ場のおじさんたちにとっては究極の贅沢かもしれない。
でも、おじさんたちはギターを弾き、ハーモニカを吹き、仰向けで見えない目にレンズを載せていっしんに本を読んでいる。中年女であるわたしには日雇い労働はむりだろうが、自分で自分を楽しませるこうした「セルフ娯楽」の心意気は理想だ。いい顔をしたおじさんたちと、心だけは連帯していたいなと思う。


























