原爆投下までいかに生きたか

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原爆投下までいかに生きたか

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 タイトルに目を留めてほしい。

 戦禍に散った、ではなく、戦禍に生きた演劇人たち、である。

 広島に落とされた原子爆弾で「全滅」した移動劇団として「桜隊」の悲劇は知られている。フリーのテレビディレクターであり、ドキュメンタリー制作と並行して質の高いノンフィクション作品を次々に発表してきた著者は、彼らの死に焦点を当てるだけではなく、八月六日の運命の日まで、彼らがいかに生きようとしたかを克明に描き出す。さまざまな人生が交錯する構成がみごとだ。

 軸となるのが、演出家八田元夫である。「桜隊」の俳優丸山定夫、劇作家三好十郎の盟友でもあった八田は、「桜隊」の移動公演に同行していたが、体調を崩した丸山の代わりとなる俳優を探しに東京に戻っていて難を逃れた。原爆投下を知って広島に向かい、劇団員の消息を求めて奔走する。五人は即死、惨禍から逃げおおせたと思えた丸山ら四人も、急激に体調を悪化させまもなく亡くなる。ただひとり生き残った八田は、仲間の死を背負って戦後を生きた。

 早稲田の演劇博物館に寄贈されたまま眠っていた、その八田の遺品を発掘するところから本書は始まる。ノンフィクション作家としての「新発見」をことさら誇るでもなく、むしろさりげない書きぶりで提示し、著者は膨大なその未発表原稿などの資料を読み解いていく。

 八田は、盟友の丸山、三好と比べるとそれほど日の当たる場所にはいなかった。そんな彼の目を通して、大正末期から昭和初期にかけての新劇の黎明期、短すぎたその輝ける青春時代と、輝きが押しつぶされていく様子が描かれる。

 東大在学中に演劇記者となり、築地小劇場の演出家となった八田自身、新劇の灯が消えかかった時になって新築地劇団に参加し、治安維持法で逮捕される。釈放後も、「見えない腰縄」をつけられ、国策に協力するかたちで「桜隊」に加わった。演劇人として生きるためのギリギリの選択は、だが戦後になって、戦争協力の是非を問われることにもなる。

「桜隊」には、丸山だけでなく、無名に近い俳優、女優も参加していた。そのひとり、女優の森下彰子が、新婚の夫川村禾門(かもん)に送った恋文が本書に引用されていて胸を打つ。若い妻は、空襲で家を焼かれても、「うれしいのは、私がまだ本当に、物の価値を知らないうちに、こう云う目に遇ったことです」と書き送る。彼女は広島公演の後、出征中の夫に会いに朝鮮に渡るつもりでいたが、願いは果たせなかった。川村は、晩年になってはじめて胸のうちを公にし、俳優としての活動も再開したという。かつて見た映画(「二十世紀少年読本」)に老年の川村が出演していたことを、本書で知った。

新潮社 新潮45
2017年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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