肉が私たちを人間にした
[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)
他の類人猿からはもちろん、初期のヒト属とも分かれ、人類が独自な歩みを始めるきっかけとなったのが肉食(というか肉食を含む雑食)だとされる。250万年前、乾燥化の著しいアフリカで、人類の祖先たちは、縮小する熱帯雨林にとどまり従来のライフスタイルを維持するか、拡大するサバンナで新たな生き方を模索するかの二者択一を迫られた。
サバンナでは、果実や新芽などの食物は決定的に不足している。そこで生きるには、ライオンなどの捕食獣が倒した獲物を素早くかすめ取るか、あるいは自分で狩りをするしかない。偶然腐肉にありつく場合を除いて、うかうかしていると己が被食者になりかねないのだ。
しかし危険とはうらはらに、肉食の恩恵は劇的だった。肉の高タンパク性が脳容量の急拡大をまず支える。しかし脳は、他の臓器に比べ格段にエネルギーを使う。幸い肉は植物繊維よりもはるかに消化がいい。草食動物のような長大な腸は不必要だ。腸が短くてすむなら、浮いたエネルギーをそのまま脳に回すこともできる。脳の拡大は道具や生活方法の革新を含む、さまざまなイノベーションに直結する。つまりは「肉が私たちを人間にした」(第2章)というわけだ。
本書の著者はポーランド系カナダ人の女性サイエンス・ジャーナリスト。彼女自身ゆるやかな菜食主義者だそうだが、その立場から、人類を人類たらしめた肉食の「過去、現在、未来」、あるいは肉食から離れようとする菜食の「過去、現在、未来」が冷静に分析・報告される。とはいえ2項を対置する限り議論の方向は自明だろう。現在、地球温暖化は喫緊の課題で、温暖化ガスの原因のじつに22パーセントが肉食に由来するとしたら、抑制に努めるしかないではないか。ちなみに航空機は2パーセントの由。
しかし世界を飛び回る取材から紡がれるストーリーは、一つ一つがまことに興味深い。環境にも健康にもよくない肉食を人類がやめられないのは、結局「利己的な遺伝子」が健康で若い宿主に乗り移ることを欲して、古い宿主の早い死を望むから、という奇説。ビールを飲ませるなど「神戸牛」風な飼育に励むイギリスの畜産家。実験室のシャーレで幹細胞から肉を培養するオランダの研究者。牛を聖獣視するインドがじつは世界第2位の牛肉輸出国で、国境を越えるまで「水牛」だったラベルが直後に「牛」に直されること……などなど。
肉食は現在、特にアジアで急拡大中である。しかしその需要に応じるには、畜産に必要な水と、飼料作物を作る耕地とが決定的に足りない。ここは妙な反体制的ポーズをとらず菜食主義を社会に受け入れられるものとし、かつ、肉を使わぬ食事を実際、食べたくなるほど美味なものにする以外ないではないか。