永山則夫の罪と罰 井口時男 著 

レビュー

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永山則夫の罪と罰 井口時男 著 

[レビュアー] 横尾和博(文芸評論家)

◆ロシア文学と重ねて論考

 永山則夫に真摯(しんし)に向き合った渾身(こんしん)の一冊である。本書には著者がこれまでに発表した永山にまつわる文学論や俳句、書評などが収められている。かつて本紙の匿名コラム「大波小波」に著者が書いた文章も、実名を公開して掲載した。その思いの深さとはなにか。

 永山事件から四十九年、死刑執行から二十年たち、事件のことを知らない世代も増えた。彼は一九六八年に警備員やタクシー運転手など四人をピストルで射殺し、翌年逮捕された。当時十九歳。北海道の極貧の崩壊家庭に生まれ、母の故郷の青森で育った。中学卒業後、集団就職で上京し、職を転々とした末の犯行だった。その後、拘置所で独学を続け、手記『無知の涙』や小説集『木橋(きはし)』を発表し、二十八年間獄中で創作活動を続けた。彼の支援者も多かったが、九〇年に死刑が確定し、九七年八月に刑が執行された。

 本書の冒頭には、<はまなすにささやいてみる「ひ・と・ご・ろ・し」>など著者の俳句十句と、永山の育った北津軽郡板柳町への訪問記が配されており、法律論や死刑廃止論の観点ではなく、文学者として永山をとらえようとする視点が明確となる。

 圧巻は「永山則夫と小説の力」と題されたドストエフスキー『罪と罰』を後景におきながらの論である。永山は拘置所内で『罪と罰』を読んだ。著者は、永山が「自分の犯罪がラスコーリニコフと同じものだったことに気がついた」と書く。「罪」のロシア語の原義には「踏み越え」の意味がある。自らの英雄思想の検証のために老婆殺しで踏み越えたラスコーリニコフと、どこにも行く場のない自己破滅的な永山の踏み越えを、著者は重ね合わせて複眼的に論じた。鋭い論と感傷、それが著者の思いの深度であり根拠だ。

 永山の名前を聞くと心が疼(うず)く。評者は彼と同年代であり、同様に少年時代を貧しく過ごしたからである。武器を言葉に変え、孤独を生き抜いた永山。著者の向き合い方にただ頭が下がる。

 (コールサック社・1620円)

<いぐち・ときお> 1953年生まれ。文芸評論家。著書『少年殺人者考』など。

◆もう1冊 

 永山則夫著『木橋』(河出文庫)。極度の貧困や兄からの暴力に苦しんだ津軽での少年期を描く表題作など三作を収めた自伝小説集。

中日新聞 東京新聞
2017年9月17日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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