『彼の娘』
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父となった飴屋法水が娘と共に考え悩む、異色の私小説
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
書評子としてこんなことを明かすことの是非はわからないけれど、わたしは飴屋法水という表現者がずっと好きだ。一九八〇年代半ば、人気を博するも二年で解散してしまった演劇集団「東京グランギニョル」。その後、現代美術に活動の場を移したのだけれど、九五年、飴屋はすべての表現から退き、珍獣を飼育して売る店「動物堂」を開店したのだった。
そんな彼が、再び表舞台に姿を現したのが二〇〇七年。ある時、気づいたら、そばには小さな女の子がいるようになっていた。以降、飴屋が出演したり、自ら作・演出したりするステージを観に行くたび、女の子は少しずつ大きくなっていった。そして、彼は『彼の娘』という私小説を書いた。
産声をあげないで生まれた娘のくんちゃん。歩きはじめて三年間、外でも裸足だったくんちゃん。喋りだすのに三年半かかったくんちゃん。保育園を中退したくんちゃん。小学校で彼氏を作ったくんちゃん。百三十センチにまで成長してしまった小学四年生のくんちゃん。
娘の成長が、亡くなった父親や友人、高齢の母、くんちゃんがいなかった頃の自分にまつわる記憶を引き出し、すでに死者である自分という未来を幻視させる。そうしたエピソードがこの小説を動かす手足にあたるとすれば、ひんぱんに交わされる父娘の対話は魂といえるかもしれない。頭ではなく、心の。
〈人が人を殺すのはさ、自分に価値があると思ってるからだよ。自分の価値のために、人を殺すんだよきっと〉〈一人の人間の命の価値は、七十億分の一の価値がある〉〈それ以上でも以下でもない〉〈自分にとって価値があるってことと、その存在に、そもそも価値があるってのも、ぜんぜん違うことなんだよ〉。子供の頃、先生になりたかったけど、ぜんぜんだめだったとくんちゃんに打ち明け、笑う〈彼〉だけれど、娘とそんな対話ができる人の学校なら、わたしは今からだって入学したい。