『院長選挙』
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『崩れる脳を抱きしめて』
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[本の森 医療・介護]『院長選挙』久坂部羊/『崩れる脳を抱きしめて』知念実希人
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
「外科の連中がやってる手術などは、有り体に言って、患者に大怪我をさせるも同然の野蛮な行為じゃないか」「内科は腫瘍に直接手出しできないものだから、理屈をこねて、効きもしない抗がん剤を投与して、自分たちの権威を守ろうとしているんだ」
フリーライターの吉沢アスカが取材のため訪れた天都大学病院では、前院長の宇津々覚(うつつさとる)が急死し、後任者を巡って四人の副院長が熾烈な闘争を繰り広げていた。日本医療小説大賞受賞作家・久坂部羊の最新長篇『院長選挙』(幻冬舎)は、その醜い人間模様を描く痛烈な諷刺小説である。
自らの権威を誇示することに熱中するエリート医師たちはライバルを誹謗することにも余念がない。冒頭に掲げたのはその一例だが、これが単なる冗談と言い切れないのは医師たちが主張する〈臓器のヒエラルキー〉、すなわち身体のどの部位を治療する科が最も重要か、というような議論に奇妙な現実感があるからだ。露悪的な物言いではあるが、現実の医師たちが口にしていることを誇張するとこうなるのではないか、と読者は妄想してしまうはずだ。
全登場人物がエゴイズムの塊であるのは、人間を極端にデフォルメする諷刺小説の常道だ。意識されているのは「公共伏魔殿」などの筒井康隆作品のはずで、全篇が渇いた笑いで埋め尽くされている。刺激物が好きな方に特にお薦めしたい内容である。
知念実希人『崩れる脳を抱きしめて』(実業之日本社)は、『院長選挙』とは対照的に甘い感傷を味わわせてくれる作品だ。知念は島田荘司選のばらのまち福山ミステリー文学新人賞出身の作家で、結末のどんでん返しを重視する作風に特徴がある。今回は恋愛小説の要素との合体に挑戦した形だ。
富裕層を対象として設立された、葉山の岬病院に研修医として碓氷蒼馬(うすいそうま)はやってきた。ホスピスの機能も併せ持ち、苦痛を味わわずに最期を迎えたい、という患者の希望にもこたえる病院だ。そこで彼は、若い女性患者と言葉を交わすようになる。正式にはユガリだが、濁音のないユカリと呼んでくれ、と彼女は言う。弓狩環(たまき)のカルテを手にした碓氷は、そこに記された病名がグリオブラストーマ、悪性脳腫瘍であることを知る。頭の中に、いつ破裂してもおかしくない時限爆弾があるようなものだった。
亡父の作った借金を抱える碓氷には、過去を憎むあまりに世間を呪う気持ちがある。一方ユカリにも、他人には言えない恐れの感情があった。その二人が、医師と患者という立場を超えて心を通わせていくのである。物語の第二部では、碓氷にとって世界が引っくり返るようなことが起きる。その謎の答えを追究していくのが後半の展開であり、知念ミステリーならではの興趣が味わえる。筆致がやや感傷的に過ぎる個所もあるが、仕掛けはよく考えられている。