『乗りかかった船』
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島へ
[レビュアー] 瀧羽麻子(作家)
島へ向かう連絡船は空いていた。数少ない乗客たちは、買い出しの帰りなのか大荷物を抱え、世間話に興じつつ、ちらちらとこっちを気にしている。観光客は珍しいのかもしれない。もっとも、わたしも特に観光がしたいわけではなかった。この島になにか名所があるのか、そもそもなにがあるのかすら、ほとんど知らなかった。
知っているのは、造船所があるということだけだった。
前年、広島県の造船会社を取材させてもらい、その雰囲気にすっかり魅了されてしまったわたしは、また別の造船所も見にいってみたい、とずっと考えていたのだった。
今回は正式な取材ではないから、もちろん敷地の中には入れない。ひとりで周りの道をぶらぶらうろつき、柵越しに巨大なクレーンを見あげ、鈍い機械音に耳を傾けた。たまにすれ違う人々から、またしてもけげんな顔でじろじろ見られた。
日が暮れてきた頃合に、港へ引き返そうとしたら、造船所の門の真ん前にある居酒屋にのれんが出ていた。
カウンターの端っこに座り、ビールを飲んだ。所在なげに見えたのか、店の奥さんから気さくに話しかけられた。どこから来たのか、いつまでいるのか、問われるままに答えていくうちに、ここの娘さんがわたしと同年代で、同じく独身であることが判明した。「仕事ば忙しかけん。親は応援するしかなかとね」しんみりと言われ、言葉に詰まる。
「帰りの船ば、まにあうよう声かけるけん、安心して飲みね」
お言葉に甘えて日本酒を頼んだ。だんだん帰りたくなくなってくる。離れて暮らしているという娘さんの顔を、ぼんやり想像してみる。お母さん似だろうか。
「そろそろ時間さね」優しい声で、われに返った。「気をつけて。あなたも、仕事がんばって」
帰ろう、と思った。帰って、原稿の続きを書こう。終電ならぬ終船で、わたしは島を後にした。