宮部みゆき『この世の春』を読み解く8つのキーワード〈『この世の春』刊行記念〉

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この世の春 上

『この世の春 上』

著者
宮部 みゆき [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103750130
発売日
2017/08/31
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

この世の春 下

『この世の春 下』

著者
宮部 みゆき [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103750147
発売日
2017/08/31
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

宮部みゆき『この世の春』を読み解く8つのキーワード

[レビュアー] 佐藤誠一郎(編集者)/高橋亜由(編集者)

宮部さんの作家生活30周年記念長編『この世の春』(上・下)が8月末に出版されました。その魅力を、担当編集者二人(誠一郎&亜由)が語り尽くします。

 ***

亜由 本作は、「週刊新潮」で1年半にわたり連載された、サイコ&ミステリー長編です。舞台は江戸時代ですが、現代を生きる私たち自身が抱えるテーマを扱った意欲作。編集を担当した、誠一郎と亜由が、本作を「8つのキーワード」からナビゲートさせていただきます。物語は、主人公である北見藩藩主重興(しげおき)が「主君押込(おしこめ)」というお家安泰のための最終仕儀、家臣による強制隠居に遭うところから始まります。最初のキーワードはこの「主君押込」です。

誠一郎 重興は、名君である父が他界してまもなく北見藩藩主の座につきましたが、乱心を理由にわずか五年でこの仕儀に。五香苑(ごこうえん)という北見家の別邸に幽閉されるのです。館守(やかたもり)に就いたのは、北見藩元江戸家老である石野織部(おりべ)。石野は重興の藩主就任と共に隠居しましたが、筆頭家老の脇坂勝隆の強い要請で、再び重興に仕えることになりました。織部は本作のキーパーソンで、屋台骨でもあります。

亜由 かっこよくて渋い、おじいさまです! かっこいいと言えば、重興はまさに、「史上最も孤独で不幸なヒーロー」と言えるのではないでしょうか?

誠一郎 そうだね。名君であった父・成興(なりおき)に厳格に育てられたヒーローは、文武両道に秀でた美丈夫。領民からの評判も高く、将来を嘱望されていましたが、心に深すぎる闇を抱えていたんですね。

亜由 なんと、重興は、ある少年をつくってしまいます……。

誠一郎 この言葉の意味は、本書を読んでのお楽しみということで明かしませんが、重興の存在そのものが、ミステリーであり、本作最大の謎です。

亜由 ヒロインは、各務(かがみ)多紀という武家の娘ですね。

誠一郎 多紀はいったん嫁ぐのですが、姑からハラスメントを受けて、夫と離縁した過去を持っています。その時、夫が「助けてくれなかった」という哀しみをぬぐえずにいる。

亜由 しかし! 運命の糸にたぐり寄せられるように、重興の世話係となり、重興を献身的に支え、寄り添うようになります。やがて、多紀の心に重興へのある想いが産まれるのですが、それは心を許しあう姉としてなのか、それとも……?

誠一郎 本作は、宮部作品初の恋愛小説なんですね。主人公二人の行く末が、物語のラストを形づくる作品は、これまで意外と描かれていませんでした。

亜由 胸キュンの展開になるのか、悲しい結末に終わるのか――。下巻のカバー絵を見ると、二人の背景がこの世のようにも来世のようにも受け取れる。こよりさんが描く挿画も魅力のひとつですね。宮部さんは、「かなり挿画に影響されるタイプ」とご自身を分析されていますが、今回も、連載第一回の重興のイラストがあまりにかっこよくて、人物造形がすぐに固まったそうです。

誠一郎 宮部さんとこよりさん、運命的な巡り合わせでしたね。また、多紀だけでなく、脇を固める強い女たちが数多く登場しますね。五香苑の女中・お鈴は、まだ幼い少女ですが、そのひたむきな態度が重興に勇気を与える。重興の母親・美福院と正室・由衣の方は、重興の闇と秘密を知っているだけに存在感がありますし、連載中も大人気だった女馬喰(ばくろう)・しげの侠気も必読です。

亜由 五香苑で重興の馬を世話しているしげはとりわけ女性に人気でしたが、本作のメイン舞台は、重興が座敷牢に幽閉されているこの五香苑です。石野織部を筆頭に、女中のお鈴、おごう、奉公人の寒吉、己之助、家守の五郎助、主治医の白田登、そして多紀たちが、ここに集っているわけですね。五香苑と神鏡湖(じんきょうこ)にも、秘められたものがあります。場所が謎の磁場になっています。

誠一郎 重興の秘密に直結することですからね。その重興の苦しみを癒し、秘密を解明するために尽力するのが、白田登医師です。実は、江戸時代は意外なほど西洋医学が浸透していたようです。白田は、長崎に遊学していた経験から、魂と身体を切り離し、現代精神医学のような論理的思考で、患者の心を解明しようとします。

亜由 一方で、繰屋(くりや)という一族の秘事・御霊繰(みたまくり)が興味をそそりますね、死者の霊をおろすというスピリチュアルな行為も描かれる。この、合理主義と非合理世界の混在こそが、本作のたぐいまれな企みであるとも言えますね。決して科学や論理が一方的に勝利するわけではない……。

誠一郎 そして、その繰屋に起きた、十六年前の変事。藩の領民もほとんど知ることのないこの変事は、とてつもない嘘をまとっているらしい。石野は多紀の従弟である田島半十郎に、藩の機密が関わっていると見られるこの変事を探るように命じます。そして、半十郎は、あまりにも奇妙な符合に気づいて呆然となります。江戸で何人もの男子(おのこ)が行方不明になっているという事実と怪異との平仄(ひょうそく)が、偶然にしては揃いすぎている……。

亜由 果たして、彼らに春は巡って来るのか、それとも、悲しい結末に終わるのか……。『この世の春』というタイトルに込められた想いは、最後の一行で語られています。

誠一郎 かつてない読書体験をお楽しみください。

新潮社 波
2017年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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