80年代の漫画雑誌編集部を描く 芥川賞作家の自伝的小説
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
愛しいものに身を委ねることの喜びがここには描かれている。
藤野千夜『編集ども集まれ!』は、無類の漫画好きであった小笹一夫が「週刊大人漫画クラブ」を刊行する青雲社に入り、新米編集者として働いた日々を描く青春小説だ。彼の入社はつくば科学万博が開かれた一九八五年、バブル景気という言葉はまだなく、二十年後に出版不況が訪れることを一人として予想していなかった、元気な時代である。
子供のころから漫画を生きる糧としていた小笹にとって雑誌の編集部は、実在の漫画家に触れることができる夢のような場所だ。梶原一騎からの誤植を咎める電話を受けたのは、忘れられない出来事となった。新入社員として最初の夏を乗り切ったあと、小笹は別冊編集部に配属替えになる。「別冊大人漫画クラブ」は風俗紹介記事もある成人向けの誌面だ。他誌には桜沢エリカ・岡崎京子といった新人が登場して話題になっていたが、小笹はそれを横目で見ながら男臭い誌面をひたすら作り続ける。
小説は二つの視点が並行して進んでいく。一つは一九八五年の新米編集者・小笹、もう一つは現在の視点から当時を振り返る笹子のそれだ。小笹と笹子は同一人物である。ではなぜ、名前が違うのか。その疑問は小説の後半に入って解消されることになる。お祭り騒ぎのように一つの目標に向けて全員が邁進していられた一九八〇年代は、いろいろなことがとても雑な時代でもあった。小笹の中にある繊細な部分がその粗っぽさと相容れず、結果として笹子を生み出すことになったのだ。過去と現在の両方向から眺めることで、あの時代特有の空気が見えてくる。
自伝的作品であり、主人公が芥川賞を獲得するあたりで物語は終わっている。その部分も興味深いが、漫画に関するおしゃべりを拾い読むだけでも楽しい。好きなものを嬉しそうに語っている小説は、それだけで読者の胸を熱くしてくれるのだ。