『福岡伸一、西田哲学を読む』
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読む喜びを味わえる 生物学者の哲学への挑戦
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
いまの若い人たちは、西田幾多郎を読むのだろうか。読んだとして、どう感じ、評価するのか。どの著作も文章が堅苦しいから、入り込むまでが難しいかもしれない。
本書著者のひとり福岡伸一は生物学者だが、縁あって西田哲学を読むという大仕事に挑戦した。パートナーは西田哲学の研究者池田善昭。「理系代表」が「文系代表」に意見をもとめつつ、西田幾多郎の思想にぐいぐい迫る。
今年七月に出た本をいまごろ紹介するのは、読むのにひと月以上かかったから。とはいえ、読みにくい本ではない。対話を基調とした本なので、読みやすく親しみやすい。長い時間をかけたのはひとえに「読み流したくない」「読み終えたくない」という欲望のせいである。
時間と空間とは相反する性質をもつ。時間は「次々に起こる存在の秩序」であり、空間は「同時に存在する秩序」だ。その両者がひとつに合わさったものがすなわちこの世界だが、それを池田は「包まれつつ包む」関係だと言う。時間が空間を包みつつ、逆に空間は時間を包んでいる。これは、福岡の世界把握においては、細胞の内と外とのあいだに膜があるが、膜は外部でも内部でもない(しかも絶えず流動している存在)、ということにあたる。このようにして、福岡の「動的平衡」説が西田の思想とひとつひとつ突き合わされていく。強烈に興奮できる本だ。
哲学と自然科学は、おなじ山に登っているのである(そしてたぶん芸術も)。異なる登山口から、それぞれの登山道を少しずつ上に延ばしながら。でも目指す山頂はきっとおなじだから、互いの登山の装備や技術を語り合えば、収穫は大きい。それをただ目撃している読者にも喜びをもたらすほどに、だ。
異分野に架橋できる言葉の持ち主はそう多くはないが、これは稀有なペアだと思う。読む喜びをたっぷり味わってください。