イタメシのウソを柔軟思考で料理する
[レビュアー] 小飼弾
食の世界は矛盾に満ちている。その矛盾の最たるものは、料理の国籍。食材自体はグローバルなのに、グローバルであればあるほど、料理はローカルであることを求められる。和食にしてからが、自給しているのは米ぐらいで、穀物も魚介も海の向こうからやってくるのに、「国産」であることに異様なプレミアムが付く。これが日本だけの現象ではないことは、ファブリツィオ・グラッセッリ『ねじ曲げられた「イタリア料理」』を読むとわかる。ピッツァは実のところ生まれも育ちもアメリカだし、トマトソースも原産国は大西洋の向こう。
ここで私は「現象」と言った。「問題」とは言っていない。本書の「イタリア料理」が「痛くない」のは、メディアでは「味気ない」と受け取られかねないけど、食べる者にとってはむしろ自然かつ当然なその姿勢にある。著者はイタリア国内ですら信じられているイタメシのウソをしっかり指摘しつつも、「イタリア料理」の国際化をむしろ発展としてとらえ、明太子スパゲッティに舌鼓をうち、オリーブオイルを和の食材にあわせる。そんな柔軟な著者にも受け入れがたいのが、「食の支配者たち」。
本書も指摘する通り、全人類が食料消費者でうち5人に2人は食料生産者なのに食料生産額の7割はわずか500社の懐に行く。彼らに食のなんたるかを牛耳らせたままでよいのか。フードファディズムとは対極の適切な塩加減が持ち味の本書、口直しにぜひ。