『新・風景論』 清水真木著

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新・風景論

『新・風景論』

著者
清水 真木 [著]
出版社
筑摩書房
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784480016539
発売日
2017/08/08
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『新・風景論』 清水真木著

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

生きた空間の哲学を

 東京の中心部にある名所、日本橋は明治時代に造られた立派な石橋であるが、いまはその上を高速道路がふさいでいる。この道路を撤去し、空が再び見えるようにして、周囲の環境を整備しよう。そういう声が前からあがっているが、著者、清水真木はそれをきびしく否定する。

 何しろ高速道路が造られたのは一九六〇年代である。日本橋の上に青空が広がっていたのを見たおぼえのある人は、もはや少数だろう。多くの東京住民は、高速道路の下にある日本橋の姿にすでになじんでいる。それを無理やり「昔」の風景、と言っても現実には存在しなかった「昔らしい」ようすに変えたところで、一種のテーマパークのような、日常の感覚から遊離した空間ができるだけである。

 この例にかぎらず、住民の生活感覚からかけ離れ、類型化した建物や街なみの姿が、「絵のような」風景としてもてはやされること。そこに清水は「風景の経験」の転倒を見る。その歪(ゆが)んだ「風景」観は、実は十八世紀後半から十九世紀初めにかけて、英国で生み出されたものだった。自然の眺めから一枚の絵を切り抜くようにして、静止した独立物としての「風景」をめでる。そうした新たな思想が人々の感覚を大きく変えてゆく過程を、この本は大胆に暴き出している。

 人間が本来営んでいる「風景の経験」とは、そういった固定したものではない。時々刻々と変わってゆく周囲の情景とふれあいながら、視線をさまざまに動かして、目に映る空間に身を委ねてゆく。そのような「主客未分」の境地を実感する経験のなかでこそ、みずからの生存の意味をとらえることができる。

 メルロ=ポンティや和辻哲郎による理論の検討を通じながら、清水が提示するのは、言わば生きられる空間の哲学にほかならない。この本を読み終えて周囲を見渡せば、まわりの風景の見えかたも、きっと大きく変わっている。

 ◇しみず・まき=1968年生まれ。明治大教授。専攻は哲学、哲学史。著書に『感情とは何か』など。

 筑摩選書 1500円

読売新聞
2017年10月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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