『四時過ぎの船』
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ゆっくり読んで感じる味わい深い時間の流れ
[レビュアー] 武田将明(東京大学准教授・評論家)
「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」――九州の島に暮らす祖母・佐恵子は、自分で書いたメモを見て孫の稔を船着き場まで迎えに行く。その佐恵子の没後、稔は母と兄と共に島を訪れ、住人のいない家を片付ける。この時空を異にするふたつの話が、本書では交互に語られる。
もっとも、あの大ヒット映画『君の名は。』のように、時空をまたにかけたドラマが展開するわけではないし、それぞれの話でも出来事らしい出来事は生じない。認知症を患いはじめた佐恵子、大学を中退後、三十近くになるまで定職につかず、「おれはこれからどうなるんやろう」と内心焦りながらも行動できない稔のどちらも、物語を動かすことはない。
しかし、なにも起きないなか、彼らの想起する断片的な記憶がつながりはじめ、茫洋としていた本書の世界が、次第に立体的な像を結んでいく。稔の記憶にある、認知症が進行して意思疎通もできなくなった晩年の祖母の姿と、佐恵子自身が思い出す、外から島に嫁に来た彼女の苦労や、亡き夫との楽しい会話。また、目の不自由な兄のため、弟のお前は「辛抱せにゃ」、と幼い稔に語る佐恵子の回想と、すでに「五分おきにおなじことを訊く」ようになっていた佐恵子から、兄の「目になってやらんと」と言われた、中学時代の稔の記憶。これらが縫い合わされることで、佐恵子の哀しみや稔の鬱屈が、どんな雄弁な言葉よりも深く、読者の心に沁み入る。
ゆえに本書は、じっくりと味わいながら読まれるべきだろう。さらには、稔の兄・浩の視点で再読したり、作者のデビュー作『縫わんばならん』を読んでから、親族の敬子の視点で三読しても、違った側面が見えてくるはずだ。
本書が二作目となる作者は、すでに確かな表現をもっている。ゆっくり本を読む暇がない、という人にこそ、本書に流れる時間の豊かさを感じてほしい。芥川賞候補作。